久し振りに何の予備知識もなく、芝居を見た。チラシさえ見てない。アリス零番館ISTのフェスティバル参加作品なので、うまく時間が合ったので劇場に行った。
こういうタイプの芝居は以前はよく見ていた。スペースゼロがあった頃、毎週のようにこういう箸にも棒にもかからない、でも一生懸命芝居と取り組む劇団を見続けていた。とても懐かしい話だ。月に1本くらいは、驚くような新人にも出会えるのだが、普段は地道に困ったとしか言いようのない芝居を見ていた。週末になるとゼロで古賀さんたちと、いつまでもあれこれと終電まで、今見た芝居の話をしていた。
この芝居の『280』というタイトルは母親の胎内で過ごす日々のこと。3人の女性と、その3人の胎児。彼女達の不安な日々、それぞれの問題がおなかの中の子供たちの成長とともに、綴られていく。真面目な芝居だが、ここには演劇としての仕掛けは一切なく、ただ愚鈍なまでに、テーマをストーリーに乗せて語っていくだけしか出来ない。何の捻りもない芝居は見てると、だんだん辛くなってくる。最初の40分くらいまでで我慢は限界にまで来て、それ以降は苦痛の100分だった。悪い芝居でhないけど、真面目すぎてしんどくなる。
作り手は一生懸命に、生命の問題に取り組んでいる。それは解るのだが、残念だがそれだけでは芝居にならない。蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸、透明のビニールが張られ、円環を辿る階段状の装置は、母親の胎内をイメージしたものだろうが、そうすることの意味が全く伝わらない安直な舞台美術。母となる女たちと同じ糸で繋がる胎児たち。死んでしまう子、元気に生まれてくる子、最初は命を絶たれると、怯えていたのに生きながらえる子。三人三様のドラマ。胎児たちの物語は母たちの物語に重なる。作者の素直な想いはわかるが、ここまで単純な見せ方ではしんどい。演劇で何をするのかなんて考える事なく作っているようだ。あまりに幼すぎて何も言えない。ただ、不必要な客いじりはやめたほうがいい。
こういうタイプの芝居は以前はよく見ていた。スペースゼロがあった頃、毎週のようにこういう箸にも棒にもかからない、でも一生懸命芝居と取り組む劇団を見続けていた。とても懐かしい話だ。月に1本くらいは、驚くような新人にも出会えるのだが、普段は地道に困ったとしか言いようのない芝居を見ていた。週末になるとゼロで古賀さんたちと、いつまでもあれこれと終電まで、今見た芝居の話をしていた。
この芝居の『280』というタイトルは母親の胎内で過ごす日々のこと。3人の女性と、その3人の胎児。彼女達の不安な日々、それぞれの問題がおなかの中の子供たちの成長とともに、綴られていく。真面目な芝居だが、ここには演劇としての仕掛けは一切なく、ただ愚鈍なまでに、テーマをストーリーに乗せて語っていくだけしか出来ない。何の捻りもない芝居は見てると、だんだん辛くなってくる。最初の40分くらいまでで我慢は限界にまで来て、それ以降は苦痛の100分だった。悪い芝居でhないけど、真面目すぎてしんどくなる。
作り手は一生懸命に、生命の問題に取り組んでいる。それは解るのだが、残念だがそれだけでは芝居にならない。蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸、透明のビニールが張られ、円環を辿る階段状の装置は、母親の胎内をイメージしたものだろうが、そうすることの意味が全く伝わらない安直な舞台美術。母となる女たちと同じ糸で繋がる胎児たち。死んでしまう子、元気に生まれてくる子、最初は命を絶たれると、怯えていたのに生きながらえる子。三人三様のドラマ。胎児たちの物語は母たちの物語に重なる。作者の素直な想いはわかるが、ここまで単純な見せ方ではしんどい。演劇で何をするのかなんて考える事なく作っているようだ。あまりに幼すぎて何も言えない。ただ、不必要な客いじりはやめたほうがいい。