文庫本で読んだ。ハードカバーで出た時に読んでいるのではないか、と不安だったけどしばらく読んでみて、これは初めてだ、とわかりほっとする。最近、そういうパターンが時々あるから、恥ずかしい。読んで数年経つと読んだことすら忘れる本が多いのだ。ちゃんとタイトルを覚えてないからそうなる。しかも、文庫とハードカバーでは装丁が違うし、時にはタイトルすら変わることもある。もちろん内容も再構成されていたりして、オリジナルの面影もないものもたまにはある。好きな作家の本は基本的には読んでいるはずなのだが、タイミングが合わなかったり、気づかなかったりで、けっこう見逃す。だから、文庫で知らないタイトルを発見すると、けっこう緊張する。今回もそのパターンだ。
中島京子は『ツアー1988』でたまたま出逢って虜になった。『ちいさいおうち』でブレイクしたけど、最初の突き放したようなタッチが好き。今回はこのタイトルだけで、やる気がでないのだが、(だから、ハードカバーの時見送ったのかもしれない)巻末の解説で北川次郎が『東京バンドワゴン』との比較検討をしているのを読んで、では、中島版『東京バンドワゴン』の手並み拝見、という感じで読み始めた。
小路幸也のアプローチとはまるで別方向からのものになっている。心地よくはないのだ。そのほうがリアルなのは誰にだってわかる。でも、不愉快な話を書くのではない。『東京バンドワゴン』の理想とか、夢とは違う希望がここには描かれる。現実のこの平成時代の家族構造、社会情勢から起こりえる新しい家族の在り方のシュミレーションにもなっている。ここに描かれる家族のばらばらだけど、大家族、という姿は読んでいてやられたなぁ、と思わせる。ありえないような夢をずっと見させてくれる『東京バンドワゴン』とは違う。
だから、口当たりは一見、ビターなのだ。だが、よく噛んでいくと、この苦さが今という時代の在り方で、そこから新しい家族の姿が見えてくる。仕方なく再結集した家族たちが、昔ながらの大家族に揉まれて、だんだんひとりひとりが自立していく姿が微笑ましい。これでこそ、家族だ。絵空事のような甘い家族のきずななんかを描かれたなら、鼻白むばかりだが、これはいい。次から次へと問題続出だが、みんなで対応したなら、なんとかなる。まるで蚊帳の外で、何も知らないお父さんすら貴重な存在に思える。彼は何もしなくていい。そこにいるだけでいい。一家の大黒柱なんてそんなものなのだ。
小説は短編連作のスタイルをとる。最初と最後はお父さんで締める。(締まりがないけど)その間に挟まるそれぞれのエピソードは、みんな勝手で、でも、そこがいい。一緒にいたなら、そういう勝手が許されるのだ。そこから何かがちゃんと始まるから。
30代引きこもりの長男。出戻り妊婦の二女。夫の会社が倒産して自己破産の長女一家。ぼけの母。それだけ抱えて当主のお父さんとお母さんはどうするのか。これはちょうどサザエさん一家のスケールである。中島京子はそこを踏まえてデザインしていることは明白だ。平成『サザエさん』は、安定ではなく常に揺れ動いている。だから、おもしろい。荒波の中に船出する緋田一家の物語の続編が読みたい。
中島京子は『ツアー1988』でたまたま出逢って虜になった。『ちいさいおうち』でブレイクしたけど、最初の突き放したようなタッチが好き。今回はこのタイトルだけで、やる気がでないのだが、(だから、ハードカバーの時見送ったのかもしれない)巻末の解説で北川次郎が『東京バンドワゴン』との比較検討をしているのを読んで、では、中島版『東京バンドワゴン』の手並み拝見、という感じで読み始めた。
小路幸也のアプローチとはまるで別方向からのものになっている。心地よくはないのだ。そのほうがリアルなのは誰にだってわかる。でも、不愉快な話を書くのではない。『東京バンドワゴン』の理想とか、夢とは違う希望がここには描かれる。現実のこの平成時代の家族構造、社会情勢から起こりえる新しい家族の在り方のシュミレーションにもなっている。ここに描かれる家族のばらばらだけど、大家族、という姿は読んでいてやられたなぁ、と思わせる。ありえないような夢をずっと見させてくれる『東京バンドワゴン』とは違う。
だから、口当たりは一見、ビターなのだ。だが、よく噛んでいくと、この苦さが今という時代の在り方で、そこから新しい家族の姿が見えてくる。仕方なく再結集した家族たちが、昔ながらの大家族に揉まれて、だんだんひとりひとりが自立していく姿が微笑ましい。これでこそ、家族だ。絵空事のような甘い家族のきずななんかを描かれたなら、鼻白むばかりだが、これはいい。次から次へと問題続出だが、みんなで対応したなら、なんとかなる。まるで蚊帳の外で、何も知らないお父さんすら貴重な存在に思える。彼は何もしなくていい。そこにいるだけでいい。一家の大黒柱なんてそんなものなのだ。
小説は短編連作のスタイルをとる。最初と最後はお父さんで締める。(締まりがないけど)その間に挟まるそれぞれのエピソードは、みんな勝手で、でも、そこがいい。一緒にいたなら、そういう勝手が許されるのだ。そこから何かがちゃんと始まるから。
30代引きこもりの長男。出戻り妊婦の二女。夫の会社が倒産して自己破産の長女一家。ぼけの母。それだけ抱えて当主のお父さんとお母さんはどうするのか。これはちょうどサザエさん一家のスケールである。中島京子はそこを踏まえてデザインしていることは明白だ。平成『サザエさん』は、安定ではなく常に揺れ動いている。だから、おもしろい。荒波の中に船出する緋田一家の物語の続編が読みたい。