10月13日から4日間道頓堀で催されたこのイベントに行ってきた。土曜日3本の芝居と、南山ノリマダンのパフォーマンスを2プログラム見た。休憩する間もなく2会場を行ったり来たりで大忙しだったが、とても楽しかったし、このイベントに参加できてよかった。
1本が終わった瞬間にはもう次のプログラムの開演時間になっていて、隣りの会場は待っていてくれるという綱渡り状態で、僕たちはただ見るという行為での参加なのに、ドキドキさせられる。トイレ休憩さえままならない。でも、このてんこ盛り感が楽しい。本当にお祭り、って感じだ。
だが、ここで上演された金哲義さんは作品イベント上演の枠には到底収まりきれない。彼がこの2本の作品で描こうとした問題は今の彼の本気として、しっかりと観客の胸に届いたはずだ。特に子供たちを主人公の一員として起用した航路(ハンロ)の『ゼロ』の冒険は、彼が考える演劇の可能性の一端を見事に指し示す。
金哲義さんが作った2本の芝居と韓国からやってきたコルパンについては別項に書いたが、2プログラムも見た南山ノリマダンについては触れてないのでここに簡単な感想を記しておきたい。実を言うと、別段感想というほどのものはない。難しいことはわからない。だが、ここでこのパフォーマンスを同時に見ることができたのがうれしい。
金哲義さんの力のこもった2本の芝居直後に彼らのステージを見ることで、気分がなんだか浄化される。重く厳しい芝居の後で、力強い打楽器の響き、そして歌声。まさか僕たちも韓国民謡を歌わせてもらえるとは思いもしなかったし、最後には一緒に踊らせてもらえる。まぁ、1回目の時は恥ずかしくて、歌えないし、踊れなかったが、2回目では観客が少なかったこともあり、やらざるえない状態で、でも、それが楽しかった。こういう一体感って、大事だ。観客席に身を沈めて感慨に耽るのも悪くはないが、身体を動かしてリズムに乗り、演奏する人たちと一体化するのも素敵だ。いい経験だった。
1本が終わった瞬間にはもう次のプログラムの開演時間になっていて、隣りの会場は待っていてくれるという綱渡り状態で、僕たちはただ見るという行為での参加なのに、ドキドキさせられる。トイレ休憩さえままならない。でも、このてんこ盛り感が楽しい。本当にお祭り、って感じだ。
だが、ここで上演された金哲義さんは作品イベント上演の枠には到底収まりきれない。彼がこの2本の作品で描こうとした問題は今の彼の本気として、しっかりと観客の胸に届いたはずだ。特に子供たちを主人公の一員として起用した航路(ハンロ)の『ゼロ』の冒険は、彼が考える演劇の可能性の一端を見事に指し示す。
金哲義さんが作った2本の芝居と韓国からやってきたコルパンについては別項に書いたが、2プログラムも見た南山ノリマダンについては触れてないのでここに簡単な感想を記しておきたい。実を言うと、別段感想というほどのものはない。難しいことはわからない。だが、ここでこのパフォーマンスを同時に見ることができたのがうれしい。
金哲義さんの力のこもった2本の芝居直後に彼らのステージを見ることで、気分がなんだか浄化される。重く厳しい芝居の後で、力強い打楽器の響き、そして歌声。まさか僕たちも韓国民謡を歌わせてもらえるとは思いもしなかったし、最後には一緒に踊らせてもらえる。まぁ、1回目の時は恥ずかしくて、歌えないし、踊れなかったが、2回目では観客が少なかったこともあり、やらざるえない状態で、でも、それが楽しかった。こういう一体感って、大事だ。観客席に身を沈めて感慨に耽るのも悪くはないが、身体を動かしてリズムに乗り、演奏する人たちと一体化するのも素敵だ。いい経験だった。