音楽劇と銘打たれてあるが、ミュージカルを目指した往来の新作だ。最初は敢えてミュージカルとは言わなかった。それは、歌うシーンはたくさんあるが、ダンスシーンが連動しないから、ミュージカルと呼ぶのは幾分しんどいと判断したからだろうか。(でも当日パンフにはミュージカルと書かれてあったが)
さて、今回の芝居である。残念ながら全体のテンポが悪くて退屈する。15分の休憩を挟んで2部構成3時間の大作である。でもここまでの長編にするような題材ではない。2時間くらいにまとめてテンポよく見せるべきだった。往来による春演のための作品はいつもこういう大作仕立てで、それが劇団の方針なのかもしれないが、素材と見せ方が乖離した場合は今回のように失敗する。
ラストで広島に原爆が投下されることは最初からわかっている。これはその瞬間に向けてカウントダウンしていく物語である。だが、それ以上にこれは2年間という時間の中で16人の女学生がどんなふうに成長していくのかを描くドラマだ。だから、そこがこの芝居の見せ場となるはずなのだ。
彼女たちをどう描き分けるのかも大事なポイントとなるはずだ。だが、人数が多すぎて描き分けは難しい。特定の主人公を設定しないと言う群衆劇のスタイルを取ったようだが、それでは焦点が絞れないから、一般論しか描けない。しかも、原爆という悲劇が全面に出過ぎて個々のドラマも紋切り型になってしまった。
現代のシーンとの交錯する展開も、対比にすらならない。おじいちゃんの持っていた日記を読み、そこに描かれた女学生と若き日のおじいちゃんのドラマを通して、全力で生きた彼女たちのドラマが綴られていくことになるのだが、この構成がただの段取りにしか見えない。今を生きる若い人たちのとってつけたような描写は退屈なダンスだけで表現される。こんなことなら、この部分は全部カットしたほうがすっきりする。広島出身の女学生と、地方出身の女学生の対立とかいうありきたりな図式もいらない。もっと絞り込めるところは絞ってタイトな芝居を作るべきだった。
これはとても小さなお話である。でも、だれも知らないこの小さなお話はとても愛おしい。戦時中、男性がいなくなってしかたなく、広島電鉄は、女学生を募集した。広島電鉄家政女学校を開校し、若い女性が働きながら勉強する環境を作る。背に腹は代えられないという台所事情からの開校なのだが、勉強ができ、給料も貰えるという夢のような環境の中で(大変なことはたくさんあるが)チンチン電車の車掌さんになった女学生たちは元気に自分たちに与えられた職務をこなしていく。やがては、運転士までもが、ここから巣立っていく。この驚きのドラマが戦争という背景に中でどんなふうに機能していったのか。そこにあったはずのいくつもの想像を絶するドラマこそが見たかった。なのに、ありきたりなお話に終止し、あげくは、原爆である。原爆の悲劇を描くのならばもっと違う素材が山盛りある。敢えてこの題材に目をつけたのなら、これでしか見せられないドラマが欲しかった。
歌の場面も必然性がない。この芝居を音楽劇にしなければならなかった訳は、これでは何も示されてない。野心的な試みだとは思うが、それが単なる思いつきではもったいない。
さて、今回の芝居である。残念ながら全体のテンポが悪くて退屈する。15分の休憩を挟んで2部構成3時間の大作である。でもここまでの長編にするような題材ではない。2時間くらいにまとめてテンポよく見せるべきだった。往来による春演のための作品はいつもこういう大作仕立てで、それが劇団の方針なのかもしれないが、素材と見せ方が乖離した場合は今回のように失敗する。
ラストで広島に原爆が投下されることは最初からわかっている。これはその瞬間に向けてカウントダウンしていく物語である。だが、それ以上にこれは2年間という時間の中で16人の女学生がどんなふうに成長していくのかを描くドラマだ。だから、そこがこの芝居の見せ場となるはずなのだ。
彼女たちをどう描き分けるのかも大事なポイントとなるはずだ。だが、人数が多すぎて描き分けは難しい。特定の主人公を設定しないと言う群衆劇のスタイルを取ったようだが、それでは焦点が絞れないから、一般論しか描けない。しかも、原爆という悲劇が全面に出過ぎて個々のドラマも紋切り型になってしまった。
現代のシーンとの交錯する展開も、対比にすらならない。おじいちゃんの持っていた日記を読み、そこに描かれた女学生と若き日のおじいちゃんのドラマを通して、全力で生きた彼女たちのドラマが綴られていくことになるのだが、この構成がただの段取りにしか見えない。今を生きる若い人たちのとってつけたような描写は退屈なダンスだけで表現される。こんなことなら、この部分は全部カットしたほうがすっきりする。広島出身の女学生と、地方出身の女学生の対立とかいうありきたりな図式もいらない。もっと絞り込めるところは絞ってタイトな芝居を作るべきだった。
これはとても小さなお話である。でも、だれも知らないこの小さなお話はとても愛おしい。戦時中、男性がいなくなってしかたなく、広島電鉄は、女学生を募集した。広島電鉄家政女学校を開校し、若い女性が働きながら勉強する環境を作る。背に腹は代えられないという台所事情からの開校なのだが、勉強ができ、給料も貰えるという夢のような環境の中で(大変なことはたくさんあるが)チンチン電車の車掌さんになった女学生たちは元気に自分たちに与えられた職務をこなしていく。やがては、運転士までもが、ここから巣立っていく。この驚きのドラマが戦争という背景に中でどんなふうに機能していったのか。そこにあったはずのいくつもの想像を絶するドラマこそが見たかった。なのに、ありきたりなお話に終止し、あげくは、原爆である。原爆の悲劇を描くのならばもっと違う素材が山盛りある。敢えてこの題材に目をつけたのなら、これでしか見せられないドラマが欲しかった。
歌の場面も必然性がない。この芝居を音楽劇にしなければならなかった訳は、これでは何も示されてない。野心的な試みだとは思うが、それが単なる思いつきではもったいない。