『胡同の理髪師』のハスチョロー監督のデビュー作。冬のモンゴルの草原は見渡す限りの雪景色である。そんな中で、羊の世話をして暮らす母と息子。彼女たちのところにある日、ひとりの男がやってくる。男は羊番として雇ってもらえないかと言う。氏素性のわからない流れ者を雇おうとするものは誰もいない。彼はここのパオを建てて、生活する。母子は徐々に彼に心を開いていく。山田洋次の『遥かなる山の呼び声』を想起させるなつかしい映画だ。
淡々としたタッチで彼らの日々を追う。だが、『胡同の理髪師』の監督作品だと期待したら肩透かしを食う。比較するのは酷だ。目指したものはしっかり伝わってくるが、映画としての完成度は低い。これでは少し退屈だ。わざわざ見る必要はない。30年前くらいの映画を見ている気にさせられる。
男は、過去に傷を持つわけありの無口な流れ者。女は、都会に出て行ったまま帰らない夫を諦めながらも待つけなげな女性。もう絵に描いたようなお話だ。それをハスチョローはただの「お話」として見せる。映画はただ話を見せるためのものではない。そんな基本が出来てない。『胡同の理髪師』で老人の日々をただ淡々とドキュメントしただけに見せかけて、人生の深淵まで見せた今のハスチョローとの差は一目瞭然だろう。習作の域を出ない作品だが、そのぶっきらぼうな語り口は好ましい。これが彼の映画作家としてのスタート地点だったのだ。
淡々としたタッチで彼らの日々を追う。だが、『胡同の理髪師』の監督作品だと期待したら肩透かしを食う。比較するのは酷だ。目指したものはしっかり伝わってくるが、映画としての完成度は低い。これでは少し退屈だ。わざわざ見る必要はない。30年前くらいの映画を見ている気にさせられる。
男は、過去に傷を持つわけありの無口な流れ者。女は、都会に出て行ったまま帰らない夫を諦めながらも待つけなげな女性。もう絵に描いたようなお話だ。それをハスチョローはただの「お話」として見せる。映画はただ話を見せるためのものではない。そんな基本が出来てない。『胡同の理髪師』で老人の日々をただ淡々とドキュメントしただけに見せかけて、人生の深淵まで見せた今のハスチョローとの差は一目瞭然だろう。習作の域を出ない作品だが、そのぶっきらぼうな語り口は好ましい。これが彼の映画作家としてのスタート地点だったのだ。