3世代100年にわたる「風変わりな家族」の物語が時系列をバラバラにしてコラージュされ綴られていく。1982年秋に始まり、68年春に戻る。その後、全く無作為といえるくらいにさりげなく時を行き来し、この家族と彼らを巡る人々の様々なエピソードが視点を変えて長短取り混ぜ23編、描かれていくことになる。
一番古いエピソードである1960年からラストでは2006年まで、トータル23のエピソードが600ページに渡って語られる。本の扉にリストアップされた登場人物は10名。柳島家の4姉弟。その両親。祖父母。叔父叔母。しかし、ドラマの視点となる人々は彼らだけではない。いくつもの目が、内から外からこの奇妙な家族について語る。行きつけの寿司屋の主人の視点から描かれる挿話もあるくらいだ。そんなたくさんの錯綜する視点からこの一族の人たちの不思議な生き方が描かれる。それぞれは独立した短編としても大丈夫だ。とてもよく出来ている。
それらのお話を読みながら、気がつくと、なんだかとても自由な気持ちになれている。彼らの姿を見ながら、この世界にはこうあらねばならない、なんていう生き方の決まりなんてものはない、自分たちが正しいと思ったことを貫けばいいのだ、と思えてくる。世間とか、常識とか、そういうわけのわからないものに縛られて本来の自分のあるべき姿を見失うなんてバカらしくなる。もちろん周囲の目はあるし、自由が常に正しいというわけではない。反発を食らって、孤立したり、他人から見れば不幸でしかない生き方をすることになることもある。そんな生き方はもちろん自分だって寂しい。だが、それでも自分が納得したのならそれでいい。彼ら、彼女らは、自分たちの人生を否定したりはしない。誰にも似ていないそんな生き方を肯定している。生き方にはルールなんかないからだ。
これは壮大なドラマではない。ひとつひとつはささやかなお話だ。やがて滅び行く一族の歴史をミニマムな視点から、綴っていく。読みながら、ひとりひとりのその不器用な生き方が胸に沁みることとなる。
一番古いエピソードである1960年からラストでは2006年まで、トータル23のエピソードが600ページに渡って語られる。本の扉にリストアップされた登場人物は10名。柳島家の4姉弟。その両親。祖父母。叔父叔母。しかし、ドラマの視点となる人々は彼らだけではない。いくつもの目が、内から外からこの奇妙な家族について語る。行きつけの寿司屋の主人の視点から描かれる挿話もあるくらいだ。そんなたくさんの錯綜する視点からこの一族の人たちの不思議な生き方が描かれる。それぞれは独立した短編としても大丈夫だ。とてもよく出来ている。
それらのお話を読みながら、気がつくと、なんだかとても自由な気持ちになれている。彼らの姿を見ながら、この世界にはこうあらねばならない、なんていう生き方の決まりなんてものはない、自分たちが正しいと思ったことを貫けばいいのだ、と思えてくる。世間とか、常識とか、そういうわけのわからないものに縛られて本来の自分のあるべき姿を見失うなんてバカらしくなる。もちろん周囲の目はあるし、自由が常に正しいというわけではない。反発を食らって、孤立したり、他人から見れば不幸でしかない生き方をすることになることもある。そんな生き方はもちろん自分だって寂しい。だが、それでも自分が納得したのならそれでいい。彼ら、彼女らは、自分たちの人生を否定したりはしない。誰にも似ていないそんな生き方を肯定している。生き方にはルールなんかないからだ。
これは壮大なドラマではない。ひとつひとつはささやかなお話だ。やがて滅び行く一族の歴史をミニマムな視点から、綴っていく。読みながら、ひとりひとりのその不器用な生き方が胸に沁みることとなる。