なんで2月1日なんていう封切り日なんだ。しかも、どうして事前に全く宣伝もなく、公開されるのだ。劇場で公開前に一切チラシを見なかったぞ。しかも単館ではなく東宝系で公開である。
いろんな意味で謎が謎を呼ぶ映画で、きっと一瞬で公開が終わるかもしれない。もちろん、そんなことより、簡単なあらすじをたまたまキネマ旬報で見た時から気になっていたからタイトルだけは覚えていた。ほとんど、何の予備知識もなく、劇場に行った。ちょっとしたギャンブルだ。監督も知らない人だし。
で、凄い映画だった。久々に震えた。どんな展開になるのか、まるで先が読めないまま、どんどん話が進んでいく。ラストまで、一気だ。どんでん返しの連続である。だが、これは娯楽活劇ではない。社会派映画として超一流の作品だ。現代のアメリカ南部ではまだこんな差別や偏見がまかり通っていることに恐怖する。誰が正しくて誰が間違っているのかなんてわからない。みんな自分を信じて生きている。歪だと思うのは他者だけで、自分はそうは思わない。でも、わがままではない。それぞれがそれぞれなりに自分の信念を貫いている。だから、勧善懲悪になんてならない。
娘がレイプされ、殺された。しかも、焼き殺したのだ。そんな残酷な犯人が捕まらない。警察はまるで捜査をする気がない。警察は黒人を虐めることを仕事にしている。母親は復讐を始める。その方法が普通じゃない。事件のあった場所にあるビルボード3枚に広告を載せる。警察署長を糾弾するものだ。そこからドラマは始まり、紆余曲折を展開してラストまで。
ドキドキさせられるのは、母親の過激さゆえではない。彼女の勇気がさまざまな波紋を呼び、ありえないようなドラマにつながっていく。だが、これは事件の真相を暴く映画ではない。犯人捜しは描かれても、犯人自体には意味はない。犯罪者は彼だけではないからだ。
ここで暴かれるのは、人間の本性はどこにあるか、ということだ。正義のためなんて、バカバカしくて口に出来まい。みんな弱さを抱えているとか、そんなこともどうでもいい。ましてや、勇気を出せ、とか、ありえない。どこに決着を求めるか、それも誰にもわかるまい。彼らだってわからないまま、行動している。もしかしたら、その先に答えがあるかもしれない、ないかもしれない。結局わからない。
多くは語るまい。2時間、この世界を目撃せよ。それだけで、世界を見る目が変わるはずだ。家族のことからスタートして、世界がどうあればいいのか。現実はどうなのか。どうすべきなのか。考えろ、と、この映画は言う。