去年の『大奥』に続く東映女性時代劇シリーズ第2弾(なんて、誰も言っていないが勝手に付けた)である。だから、全く期待しないで見に行ったのだが、予想に反して、これがなかなか良く出来ていた。
所詮TVの映画版でしかない『大奥』とは違いこちらは撮影所出身で東映生え抜きの新鋭橋本一監督作品である。ある意味で心意気が違う。(と、それは結果を出したから言えたことだが)
テンポの早いオープニングから一気に作品世界に引き込まれていく。父親を亡くし、母と幼い妹たちと共に、父を殺した伯父のもとに身を寄せることになった少女が主人公だ。偉大な伯父、信長(松形弘樹がワンポイントリリーフしている)に向かい、凛として目を逸らすことなく、睨みつける。この場面でこの映画の方向性は明確になる。「わたくしは、何者にも跪かない」というコピーはこの映画を象徴している。
たったひとりの少女が世界中を敵にまわしても最後の最期まで闘い続ける。戦国の時代、ただの慰み者として政略結婚を強いられるだけの、女たちの中にあって、自分の意志を曲げず、誰にも屈することなく、最期まで自分らしく生きようとした茶々という女の物語を、昨年宝塚を退団した宙組男役のトップスター、和央ようかが、周りの役者たちに芝居を合わせることなく、自分が宝塚で培ってきたメソッドで最後まで押し通して見せてくれる。天晴れだ。
予告編を見た時には、彼女の台詞回しが余りに大仰で、これで大丈夫なのか、と心配したものだが、この映画の内容と彼女のひとり芝居が、ぴったりあっていて驚いた。あの芝居をOKしたのは、監督自身の意図だったのかもしれない。勝算がなかったならあんな芝居をさせまい。
たとえ、相手が信長であろうとも、秀吉であろうとも、さらには家康であっても、彼女は一歩もひるまない。どんなに強い相手に対しても、何の後ろ盾もなく、自分ひとりの力で立ち向っていく。女はいくさに出て功を挙げ、出世することはできない。しかし、子供を産み、育て、そして守ることが出来る。ただそれだけのことで男と向き合い、負けることなく戦い続けることが出来る。
そんな可能性の扉をこの女は自分の手で開いて見せる。男だけでなく、自分の周囲の女たちすら敵にまわしてもいい。
こんなにも強い意志を持ったヒロインを描いた時代劇映画は類を見ない。一歩間違えばただの勘違い女にしかならないところを、ベテラン高田宏治は見事に脚本化し、それを監督、橋本一以下スタッフが映像化して見せた。さすが東映時代劇である。中途半端な仕事はしない。短期間の撮影なのに、細微まで目が行き届いた美術が素晴らしい。
秀吉を演じた渡辺篤郎が、受けの芝居でこの微妙な役回りを上手くこなし、新人女優でしかない和央ようかを輝かせてくれたのもいい。彼がつまらないパターン演技をしていたなら、映画全体がただのマンガに成り下がっていたはずだ。彼が幼い頃の茶々を見て、その気高い意志にほれ込み、自分の意志を受け継ぐものとして彼女を見守り、その傲慢さにうんざりしながらも、敬い、自分のパートナーとして、この女を大切にする。女としてではなく、人として、彼女を受け入れていく。彼女に豊臣の未来を託す。そういう心情をリアルに見せてくれたからこの映画は成功したのだ。
大坂の町を火の海にしても、負けることを恐れず、この城と、自分の息子を守り続ける彼女のりりしい姿に感動する。天守閣から劫火が町を嘗め尽くす様を見下ろす。夜の町はあたり一面火が回り美しい。彼女はその様をしっかり見つめる。
本来男性を主人公にしてきた東映任侠、実録映画、時代劇の系譜の中にあってあだ花として『極道の妻たち』がスタートして以降このジャンルでは本当の意味で、女性を主人公にした映画は生まれなかったが、今回初めてそれが、成功した。そのことにも心から拍手を贈りたい。
所詮TVの映画版でしかない『大奥』とは違いこちらは撮影所出身で東映生え抜きの新鋭橋本一監督作品である。ある意味で心意気が違う。(と、それは結果を出したから言えたことだが)
テンポの早いオープニングから一気に作品世界に引き込まれていく。父親を亡くし、母と幼い妹たちと共に、父を殺した伯父のもとに身を寄せることになった少女が主人公だ。偉大な伯父、信長(松形弘樹がワンポイントリリーフしている)に向かい、凛として目を逸らすことなく、睨みつける。この場面でこの映画の方向性は明確になる。「わたくしは、何者にも跪かない」というコピーはこの映画を象徴している。
たったひとりの少女が世界中を敵にまわしても最後の最期まで闘い続ける。戦国の時代、ただの慰み者として政略結婚を強いられるだけの、女たちの中にあって、自分の意志を曲げず、誰にも屈することなく、最期まで自分らしく生きようとした茶々という女の物語を、昨年宝塚を退団した宙組男役のトップスター、和央ようかが、周りの役者たちに芝居を合わせることなく、自分が宝塚で培ってきたメソッドで最後まで押し通して見せてくれる。天晴れだ。
予告編を見た時には、彼女の台詞回しが余りに大仰で、これで大丈夫なのか、と心配したものだが、この映画の内容と彼女のひとり芝居が、ぴったりあっていて驚いた。あの芝居をOKしたのは、監督自身の意図だったのかもしれない。勝算がなかったならあんな芝居をさせまい。
たとえ、相手が信長であろうとも、秀吉であろうとも、さらには家康であっても、彼女は一歩もひるまない。どんなに強い相手に対しても、何の後ろ盾もなく、自分ひとりの力で立ち向っていく。女はいくさに出て功を挙げ、出世することはできない。しかし、子供を産み、育て、そして守ることが出来る。ただそれだけのことで男と向き合い、負けることなく戦い続けることが出来る。
そんな可能性の扉をこの女は自分の手で開いて見せる。男だけでなく、自分の周囲の女たちすら敵にまわしてもいい。
こんなにも強い意志を持ったヒロインを描いた時代劇映画は類を見ない。一歩間違えばただの勘違い女にしかならないところを、ベテラン高田宏治は見事に脚本化し、それを監督、橋本一以下スタッフが映像化して見せた。さすが東映時代劇である。中途半端な仕事はしない。短期間の撮影なのに、細微まで目が行き届いた美術が素晴らしい。
秀吉を演じた渡辺篤郎が、受けの芝居でこの微妙な役回りを上手くこなし、新人女優でしかない和央ようかを輝かせてくれたのもいい。彼がつまらないパターン演技をしていたなら、映画全体がただのマンガに成り下がっていたはずだ。彼が幼い頃の茶々を見て、その気高い意志にほれ込み、自分の意志を受け継ぐものとして彼女を見守り、その傲慢さにうんざりしながらも、敬い、自分のパートナーとして、この女を大切にする。女としてではなく、人として、彼女を受け入れていく。彼女に豊臣の未来を託す。そういう心情をリアルに見せてくれたからこの映画は成功したのだ。
大坂の町を火の海にしても、負けることを恐れず、この城と、自分の息子を守り続ける彼女のりりしい姿に感動する。天守閣から劫火が町を嘗め尽くす様を見下ろす。夜の町はあたり一面火が回り美しい。彼女はその様をしっかり見つめる。
本来男性を主人公にしてきた東映任侠、実録映画、時代劇の系譜の中にあってあだ花として『極道の妻たち』がスタートして以降このジャンルでは本当の意味で、女性を主人公にした映画は生まれなかったが、今回初めてそれが、成功した。そのことにも心から拍手を贈りたい。
はじめて書き込みさせていただきます。
「茶々」を見て子役の場面からずっと涙し、茶々の潔い何ものにも屈しない生き方に感銘しました。
最後の場面は茶々を褒めながら涙が止まりませんでした。
歴史的に見たら違う所も多々ありますが、姉妹の絆、母の愛を描くためのものですから、映画として作られたものとみました。
茶々の和央さんの宝塚的な発声や台詞回しを酷評されるレビューを見るたびに、新しい茶々像として受け入れていた私はとても残念に思っていました。
この度、ponyasu007さんのブログを拝見して、周りにあわせることなく自分の茶々をそのまま貫いた和央さんに天晴れとおっしゃられた言葉に、胸のつかえがとれたようで嬉しくて出てまいりました。
私は3人の子供の母親でもありますし、今中途半端な生き方でこのままでよいのかと迷ってもいる時ですので、この映画に描かれている自分の意志を貫き、母としての愛に溢れた茶々に憧れました。
秀頼を追いかける弱さも、茶々の強いだけではない内面の危うさを現し、何の後ろ盾も無く生きてこなければならなかった茶々の虚勢も感じさせます。
ponyasu007さま また「茶々」を見に行きたくなりました。
素敵な映画感想ありがとうございました。
時代劇の東映さんにはこれからも頑張っていただきたいです。