井上一馬は僕にボブ・グリーンを教えてくれた人だ。もうあれから20年くらいは経つ。最近ボブ・グリーンって読んでないけど、新刊は出ているのだろうか。
『アメリカン・ビート』が出版されたとき、なぜかすぐに読んだ。あの時の新鮮な感動は忘れられない。そんな彼を日本に紹介したのが井上一馬だ。翻訳家だった彼が小説にチャレンジしたのが本作である。しかも、誘拐ミステリーである。
ボブ・グリーンのコラムの数々に描かれた小市民の哀歓が、井上一馬の作品のベースには確かに流れている。この犯罪小説は謎解きを中心としたドラマではなく、この世界のかたすみで、ひっそりと真面目に生きる人たちの姿がきちんと描かれている。
登場人物のひとりひとりがとんでもない哀しみと出会いながらも、それに必死になって耐えて生きている。許しがたい犯罪者が出てくる。彼の悪意の前で、なすすべもなく、どうしようもない思いを抱いて生きる人々。事件を追う刑事の執念。それらがよくある犯罪小説のような大河ドラマとして描かれるのではなく、とても小さな物語として密かに描かれるのがいい。
これだけの大作なのに200ページ強という短さ。しかも、犯人に対しての描写はほんの少ししかない。事件の猟奇性を見せるのではなく、被害にあった人々のささやかな人生の断片を描くことを旨としている。
誘拐された若い女性たち。2,3年後に彼女たちが帰って来る。しかし、彼女たちはまだ、誘拐事件から解放されたわけではない。まだ、大切なものを誘拐されたままなのだ。
このお話のトリックはよく出来ているが、小説はそんな仕掛けに対してそっけない。そんなことよりも彼女たちの心の痛みを描くことを何よりも大切にしている。だからこそ、これは井上一馬らしい傑作になった。
『アメリカン・ビート』が出版されたとき、なぜかすぐに読んだ。あの時の新鮮な感動は忘れられない。そんな彼を日本に紹介したのが井上一馬だ。翻訳家だった彼が小説にチャレンジしたのが本作である。しかも、誘拐ミステリーである。
ボブ・グリーンのコラムの数々に描かれた小市民の哀歓が、井上一馬の作品のベースには確かに流れている。この犯罪小説は謎解きを中心としたドラマではなく、この世界のかたすみで、ひっそりと真面目に生きる人たちの姿がきちんと描かれている。
登場人物のひとりひとりがとんでもない哀しみと出会いながらも、それに必死になって耐えて生きている。許しがたい犯罪者が出てくる。彼の悪意の前で、なすすべもなく、どうしようもない思いを抱いて生きる人々。事件を追う刑事の執念。それらがよくある犯罪小説のような大河ドラマとして描かれるのではなく、とても小さな物語として密かに描かれるのがいい。
これだけの大作なのに200ページ強という短さ。しかも、犯人に対しての描写はほんの少ししかない。事件の猟奇性を見せるのではなく、被害にあった人々のささやかな人生の断片を描くことを旨としている。
誘拐された若い女性たち。2,3年後に彼女たちが帰って来る。しかし、彼女たちはまだ、誘拐事件から解放されたわけではない。まだ、大切なものを誘拐されたままなのだ。
このお話のトリックはよく出来ているが、小説はそんな仕掛けに対してそっけない。そんなことよりも彼女たちの心の痛みを描くことを何よりも大切にしている。だからこそ、これは井上一馬らしい傑作になった。