とてもあっさりした作品で、お話らしいいお話もない。とっかかりがないから、演出する上でとても大変だっただろうと思う。
みかんがむを解散してしばらく活動を中断されていた森美幸さんの久々の新作である。演出はもちろんよろずや主宰の寺田夢酔さん。この2人のコンビはよろずやの前作『青眉のひと』に続いて2度目。『青眉のひと』は初演は見ているが前回公演を見逃しているので、彼らがどんなことをしたのかはわからない。だが、今回森さんの新作書き下ろしをよろずやとしてする、という企画に魅せられた。これを見逃すわけにはいかない。
寺田さんは自分の色に染め上げていくのではなく、森さんの提示する世界を忠実になぞるようにして作品を作る。何もないお話をさらりと流すように見せていく。これはかなり危険なことだ。観客を退屈させてしまうし、演出家としても腕の揮い場所がない。
しかし、彼はそんな無謀とも言うべきことをやり遂げようとする。日常を日常のままに、何の細工もなく見せていくことで見えてくるものを見極めるために芝居を作る。
芝居は3姉弟のメリハリのない日常をそのままに見せる。ドラマ性は極力排除していくから、先にも書いたように見ていて退屈する。これといった事件なんてもちろんない。母親の営んでいたスナックを簡単に改装して、始めた喫茶店。あまり客は来ない。とても暇だ。たった5食しか用意していないランチがいつも売れ残ってしまう。これではとても経営は成り立たない。彼女は離婚してこの家に舞い戻ってきた。生きていくためには働かなくてはならない。開店して、2ヶ月半。店はまだ軌道に乗らない。
母親は新しい恋人が出来て2人で旅行に出た。いつ帰ってくるのか分らない。残された子供たちはいつも通りの日々を送っている。次女は一人暮らしをしていてこの近所に住んでいるようだが、毎日のようにここにやって来て食事の無心をする。彼女の恋人がプロポーズにくる。だが、彼女はその申し出を拒絶する。彼の事は好きだが、一緒に暮らすのもいいが、結婚式とか、籍を入れるということは嫌だと言う。当然彼は納得しない。弟は大学進学のことで悩んでいる。まだ、高校2年で、学年末試験を終えるところ。もうすぐ3年になる。進路を決めなくてはならない。でも、みんなと同じように大学に行くとは言い切れない。そして、長女は離婚して、ここに戻ってきてこの店を始めたが、うまくやっていく自信もない。今はただゆっくりとこうして暮らせたならと思っている。
こんな3人の日々をスケッチしていきながら、彼らの周辺のほんの一握りの人たちの動向を交えて、彼らの関わりあいを描いていく。携帯の電源すら届かないような穴蔵のような喫茶店。そこでいつもぼんやりしている長女の姿を中心に1時間50分の芝居は展開する。
こんなにも何もない話をただなんとなく見せていくというのは何なんだろう、とつい考え込んでしまう。芝居はきちんと作られているが、それ以上のものがない。だから飽きてくる。もうこれ以上はしんどいなぁ、と思ったところで幕を閉じる。
ラストで、ほんの少し話が動く。換気扇のための穴だったところ出来た窓しかなかったこの店に、壁を潰して大きな窓を作るのだ。窓から店の中に春の柔らかい日差しが入ってくる。そんな中、まどろむ三人の姿を見せて芝居は終わる。
ただ面白いだけのせわしない、嘘くさい芝居には背を向けて、今の自分の心境を自然に綴って1本の戯曲を書き上げた森さん。作品としてはかなり微妙で、これを面白いと言い切る勇気はない。しかし、この台本の精神を損なうことなく、自分の色を抑えて演出した寺田さんの挑戦は刺激的だった。
僕らの生きるこの平凡な毎日。そこにあるささやかな出来事。何もない日々の積み重ねがやがて何かを形作る。今はそれが何なのか分らなくてもいい。そんな気分が描かれていく。以前の森さんの芝居とはタッチが違う。才気が影を潜め穏やかになった。それが今の彼女の気分なのだろう。
みかんがむを解散してしばらく活動を中断されていた森美幸さんの久々の新作である。演出はもちろんよろずや主宰の寺田夢酔さん。この2人のコンビはよろずやの前作『青眉のひと』に続いて2度目。『青眉のひと』は初演は見ているが前回公演を見逃しているので、彼らがどんなことをしたのかはわからない。だが、今回森さんの新作書き下ろしをよろずやとしてする、という企画に魅せられた。これを見逃すわけにはいかない。
寺田さんは自分の色に染め上げていくのではなく、森さんの提示する世界を忠実になぞるようにして作品を作る。何もないお話をさらりと流すように見せていく。これはかなり危険なことだ。観客を退屈させてしまうし、演出家としても腕の揮い場所がない。
しかし、彼はそんな無謀とも言うべきことをやり遂げようとする。日常を日常のままに、何の細工もなく見せていくことで見えてくるものを見極めるために芝居を作る。
芝居は3姉弟のメリハリのない日常をそのままに見せる。ドラマ性は極力排除していくから、先にも書いたように見ていて退屈する。これといった事件なんてもちろんない。母親の営んでいたスナックを簡単に改装して、始めた喫茶店。あまり客は来ない。とても暇だ。たった5食しか用意していないランチがいつも売れ残ってしまう。これではとても経営は成り立たない。彼女は離婚してこの家に舞い戻ってきた。生きていくためには働かなくてはならない。開店して、2ヶ月半。店はまだ軌道に乗らない。
母親は新しい恋人が出来て2人で旅行に出た。いつ帰ってくるのか分らない。残された子供たちはいつも通りの日々を送っている。次女は一人暮らしをしていてこの近所に住んでいるようだが、毎日のようにここにやって来て食事の無心をする。彼女の恋人がプロポーズにくる。だが、彼女はその申し出を拒絶する。彼の事は好きだが、一緒に暮らすのもいいが、結婚式とか、籍を入れるということは嫌だと言う。当然彼は納得しない。弟は大学進学のことで悩んでいる。まだ、高校2年で、学年末試験を終えるところ。もうすぐ3年になる。進路を決めなくてはならない。でも、みんなと同じように大学に行くとは言い切れない。そして、長女は離婚して、ここに戻ってきてこの店を始めたが、うまくやっていく自信もない。今はただゆっくりとこうして暮らせたならと思っている。
こんな3人の日々をスケッチしていきながら、彼らの周辺のほんの一握りの人たちの動向を交えて、彼らの関わりあいを描いていく。携帯の電源すら届かないような穴蔵のような喫茶店。そこでいつもぼんやりしている長女の姿を中心に1時間50分の芝居は展開する。
こんなにも何もない話をただなんとなく見せていくというのは何なんだろう、とつい考え込んでしまう。芝居はきちんと作られているが、それ以上のものがない。だから飽きてくる。もうこれ以上はしんどいなぁ、と思ったところで幕を閉じる。
ラストで、ほんの少し話が動く。換気扇のための穴だったところ出来た窓しかなかったこの店に、壁を潰して大きな窓を作るのだ。窓から店の中に春の柔らかい日差しが入ってくる。そんな中、まどろむ三人の姿を見せて芝居は終わる。
ただ面白いだけのせわしない、嘘くさい芝居には背を向けて、今の自分の心境を自然に綴って1本の戯曲を書き上げた森さん。作品としてはかなり微妙で、これを面白いと言い切る勇気はない。しかし、この台本の精神を損なうことなく、自分の色を抑えて演出した寺田さんの挑戦は刺激的だった。
僕らの生きるこの平凡な毎日。そこにあるささやかな出来事。何もない日々の積み重ねがやがて何かを形作る。今はそれが何なのか分らなくてもいい。そんな気分が描かれていく。以前の森さんの芝居とはタッチが違う。才気が影を潜め穏やかになった。それが今の彼女の気分なのだろう。