単純な話だと思う。ことさら凄いと、これを持ち上げるつもりはない。それどころか、あっけなさ過ぎて拍子抜けしたくらいだ。盛り上げるような手続きは一切しない。淡白すぎるくらいだ。だが、老境に達したイーストウッドが人生の最期の映画としてこの作品を選んだ(かもしれない)気持ちはなんだかとてもよくわかる。気がする。彼のことだから、まだ主役を張ってしまうかもしれない。もうすぐ80歳になるというのに、どうしてこんなにも続々と映画を作り続けれるのか、あきれるばかりだ。
他の誰にもこんなことはできはしない。映画史の中で、最初で最後の伝説を作ってしまった。しかもまだ生きてるのに。本人は笑って、俺は俺のやりたいことをしてるだけだ、と言うだろう。だが、それが普通にはできないのだ。イーストウッドにはあたりまえでも彼の仕事ぶりは異常だ。そして、これは偉業だ。いつも変わることなく静かな人。そして熱い男。それがクリント・イーストウッドだ。ほんとの男の生きざまをすべての人たちにむけて示してくれる。ただ、あたりまえに自分自身でいようとするだけだ。それだけのことが、こんなにも心に沁みてくる。
頑なに心を閉ざして、生きる。自分の生き方を変えない。老人になり偏屈になった、と言うわけではない。彼はこんな男なのだ。少年は彼の大事にしているグラン・トリノを盗もうとした。自分の意志ではない。ストリートギャングの悪い仲間に脅されたからだ。少年と老人は心を通いあわすことになる。よくあるお話だ。だが、これは甘い映画ではない。お互いの頑なさはどこまでも平行線をたどる。だから、ほんのすこしずつである。もどかしいくらいの歩み寄り。
理解することには時間が必要だ。簡単ではない。老人は彼らをわけのわからない中国人たち(アジア系はみんな中国人)と思う。モン族がどんな民族なのか、彼でなくてもたぶんみんな知らない。(この映画を見てる僕らももちろん知らない)定住する国を持たないジプシー民族で、ベトナム戦争の騒乱の中アメリカに移住してきたラオスとかに住む民族らしい。彼らの生活習慣なんかよもや知らない。
黒人の少年たちに絡まれる。それを同じ民族の不良たちの助けられる。彼らは少年の従兄弟である。だが、こいつらはろくでもない。親戚であるにもかかわらず。同じように彼の姉も黒人の少年たちに絡まれる。そのときはイーストウッドが助ける。黒人とか、中国人とか、問題はそんなことではない。最悪の環境で生きている。だが、決していじけたりしない。恨みつらみなんか言わない。差別や偏見は無理解から起こる。歩み寄るというのではない。ただ、ここで毎日を過ごす。そこから見えてくる。
映画のラストは衝撃的ではない。えっ?と思う。カタルシスはない。スカッとしない。勧善懲悪なんか期待しないし、皆殺しなんかとんでもない。だが、あの選択には驚く。静かに沁みてくる。暴力に対して暴力で挑むのはダーティーハリーだ。正義のために悪を撃つ。歳老いたのではない。今はこれでいい、と思ったのだ。
『チェンジリング』で失われた息子を取り戻すために旧態然とした体制に挑む強い女を描いた。『硫黄島からの手紙』で負けるとわかっている戦争で最後まで戦う日本兵たちを描いた。『父親たちの星条旗』では政府の戦意高揚政策に利用される帰還兵を描いた。この期に及んでイーストウッドは全く譲らない。まだまだ彼は作り続ける。
他の誰にもこんなことはできはしない。映画史の中で、最初で最後の伝説を作ってしまった。しかもまだ生きてるのに。本人は笑って、俺は俺のやりたいことをしてるだけだ、と言うだろう。だが、それが普通にはできないのだ。イーストウッドにはあたりまえでも彼の仕事ぶりは異常だ。そして、これは偉業だ。いつも変わることなく静かな人。そして熱い男。それがクリント・イーストウッドだ。ほんとの男の生きざまをすべての人たちにむけて示してくれる。ただ、あたりまえに自分自身でいようとするだけだ。それだけのことが、こんなにも心に沁みてくる。
頑なに心を閉ざして、生きる。自分の生き方を変えない。老人になり偏屈になった、と言うわけではない。彼はこんな男なのだ。少年は彼の大事にしているグラン・トリノを盗もうとした。自分の意志ではない。ストリートギャングの悪い仲間に脅されたからだ。少年と老人は心を通いあわすことになる。よくあるお話だ。だが、これは甘い映画ではない。お互いの頑なさはどこまでも平行線をたどる。だから、ほんのすこしずつである。もどかしいくらいの歩み寄り。
理解することには時間が必要だ。簡単ではない。老人は彼らをわけのわからない中国人たち(アジア系はみんな中国人)と思う。モン族がどんな民族なのか、彼でなくてもたぶんみんな知らない。(この映画を見てる僕らももちろん知らない)定住する国を持たないジプシー民族で、ベトナム戦争の騒乱の中アメリカに移住してきたラオスとかに住む民族らしい。彼らの生活習慣なんかよもや知らない。
黒人の少年たちに絡まれる。それを同じ民族の不良たちの助けられる。彼らは少年の従兄弟である。だが、こいつらはろくでもない。親戚であるにもかかわらず。同じように彼の姉も黒人の少年たちに絡まれる。そのときはイーストウッドが助ける。黒人とか、中国人とか、問題はそんなことではない。最悪の環境で生きている。だが、決していじけたりしない。恨みつらみなんか言わない。差別や偏見は無理解から起こる。歩み寄るというのではない。ただ、ここで毎日を過ごす。そこから見えてくる。
映画のラストは衝撃的ではない。えっ?と思う。カタルシスはない。スカッとしない。勧善懲悪なんか期待しないし、皆殺しなんかとんでもない。だが、あの選択には驚く。静かに沁みてくる。暴力に対して暴力で挑むのはダーティーハリーだ。正義のために悪を撃つ。歳老いたのではない。今はこれでいい、と思ったのだ。
『チェンジリング』で失われた息子を取り戻すために旧態然とした体制に挑む強い女を描いた。『硫黄島からの手紙』で負けるとわかっている戦争で最後まで戦う日本兵たちを描いた。『父親たちの星条旗』では政府の戦意高揚政策に利用される帰還兵を描いた。この期に及んでイーストウッドは全く譲らない。まだまだ彼は作り続ける。
イーストウッドはいい年のとり方をしていますね。
それに比べてジャームッシュは・・・・・。
ジャームッシュが得意な異文化交流でも、現在のジャームッシュより、グラン・トリノのイーストウッドのほうが面白い・・・・・・。