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あきれた映画が登場した。なんだ、これは? 話自体が成立していない。独りよがりな自主映画のノリで、一応劇場用劇映画。しかも、日活製作のとりあえずメジャー作品なのに。
こういう無茶苦茶が許させるのならば、もうなんでもありになる。もちろん面白ければ何をしても許される、かもしれない。今年は新年からとんでもない映画ばかり見る。(もちろん『スウィーニー・トッド』のことを言ってるんだよ!)ただし、この映画の問題はあまり面白くない、ということに尽きる。
では、つまらないのか、と言われると実はそうではない。このヘンテコ映画は、なかなか面白い部分もある。だが、それが映画全体を大きく引っ張ってはくれないから、部分的にヘンということに止まる。
だいたいこの話ありえない。夢オチにしたらしばくぞ、と思ったがもちろんそんなバカなことはしない。これは現実だ。(もちろん映画の中で、だが)チェンソーを持った男が夜な夜な現れ、そんな男とたったひとりで戦う女子高生戦士。2人の争いに巻き込まれた高校生男子1名。彼は少女に恋をする。彼女と共にチェーソー男と戦う、がなにぶんフツウの男の子なので、逃げ回るしかない。
この3人のバトルシーンと、彼(高校生男子くんのほうです)の日常生活がスケッチされたシーンが交錯する。それだけのお話である。なぜこんなことが起きたのか、その謎は最後まで解けない。これは彼女の心の中の闘いであることは解る。しかし、彼がどうしてそこに巻き込まれたのかは、まるで描かれない。ただ、この2人のラブストーリーであることは解る。2人の出会いに理由はない。偶然の出会いが恋の始まり。これは、説明無用の、このまま受け止めろ!映画だ。
数年前の『最終兵器彼女』を思い出させる。しかし、こちらの方が発想も、描写もより暴力的だ。問答無用の映画である。ここには中途半端はない。そして、ラストの赤字でスクリーンいっぱいに大きく出る『完』の文字には呆れた。笑いはしません。
大真面目にこれは青春を謳う、そんな映画だ。関めぐみがとてもハードボイルドしていていい。この映画は、彼女がちゃらちゃらしないから危ういところで、なんとか成立しているのだ。市原隼人の男の子もヘラヘラしながら、芯が強いのがいい。よくわからないままラストまで、媚びることなく全力疾走するのがいい。とりあえず勢いがいい。それだけの映画。それでいい。
こういう無茶苦茶が許させるのならば、もうなんでもありになる。もちろん面白ければ何をしても許される、かもしれない。今年は新年からとんでもない映画ばかり見る。(もちろん『スウィーニー・トッド』のことを言ってるんだよ!)ただし、この映画の問題はあまり面白くない、ということに尽きる。
では、つまらないのか、と言われると実はそうではない。このヘンテコ映画は、なかなか面白い部分もある。だが、それが映画全体を大きく引っ張ってはくれないから、部分的にヘンということに止まる。
だいたいこの話ありえない。夢オチにしたらしばくぞ、と思ったがもちろんそんなバカなことはしない。これは現実だ。(もちろん映画の中で、だが)チェンソーを持った男が夜な夜な現れ、そんな男とたったひとりで戦う女子高生戦士。2人の争いに巻き込まれた高校生男子1名。彼は少女に恋をする。彼女と共にチェーソー男と戦う、がなにぶんフツウの男の子なので、逃げ回るしかない。
この3人のバトルシーンと、彼(高校生男子くんのほうです)の日常生活がスケッチされたシーンが交錯する。それだけのお話である。なぜこんなことが起きたのか、その謎は最後まで解けない。これは彼女の心の中の闘いであることは解る。しかし、彼がどうしてそこに巻き込まれたのかは、まるで描かれない。ただ、この2人のラブストーリーであることは解る。2人の出会いに理由はない。偶然の出会いが恋の始まり。これは、説明無用の、このまま受け止めろ!映画だ。
数年前の『最終兵器彼女』を思い出させる。しかし、こちらの方が発想も、描写もより暴力的だ。問答無用の映画である。ここには中途半端はない。そして、ラストの赤字でスクリーンいっぱいに大きく出る『完』の文字には呆れた。笑いはしません。
大真面目にこれは青春を謳う、そんな映画だ。関めぐみがとてもハードボイルドしていていい。この映画は、彼女がちゃらちゃらしないから危ういところで、なんとか成立しているのだ。市原隼人の男の子もヘラヘラしながら、芯が強いのがいい。よくわからないままラストまで、媚びることなく全力疾走するのがいい。とりあえず勢いがいい。それだけの映画。それでいい。