妻夫木聡とハ・ジョンウ主演、脚本は渡辺あや。監督は新鋭のキム・ヨンナム。日韓合作映画なのだが、よくあるお互いの立場に気を揉んだだけでまるで意味のない合作とは違う。今までこんなタイプの日韓合作映画はなかったのではないか。だいたい日韓合作だなんていうものすらなかったかもしれない。簡単に出来そうに見えてなかなか難しい。こんなにもいろんな交流が可能になった現在でも、実はまだ、近くて遠い。そこが、日本と韓国であろう。
この映画の2人の関係がまさにそうであろう。2人は同じヤクザの親分のもとで働くただのチンピラである。まぁ、日本と韓国というふうに離れて生きてるが、ジョンウの仕事は密入国して麻薬を運ぶという行為で、妻夫木はそれを事務所まで運ぶ手伝いをすること。
ジョンウは自分が運んでいたものが麻薬であるとは知らなかった。プサンから山口まで、荷物を運び、オジキから十分なお金をもらう。それだけのことだ。そんな行為を今までただ繰り返してきた。
だが、ある日、麻薬よりとんでもないものの運搬を頼まれ、そこから彼は今まで敷かれていたレールからはみ出すことになる。その時巻き込んだのが妻夫木である。2人は行動を共にすることになる。そして、ジョンウは妻夫木の置かれた境遇を知る。どうしようもない家族を抱え、ただ彼らのために自分を犠牲にして働く。ボケを抱える祖母、どうしようもない妹、彼女の3人の子ども。(しかも、そのうちの一人は障害を持つ)そんな彼らを守らなくてはならない。彼にはなんの夢もない。恋人は他の男と結婚するようだ。仕方ない。諦めている。だが、ほんとうは諦めれるわけはない。
こんなどうしようもない2人が、とんでもないものの中身である女を通して、変わろうとする。この映画が描くのはそんな瞬間だ。女は父親を捜す。2人は女を攫うことで親分に刃向かうこととなる。だが、このストーリーから想起されるようなアクションはここにはない。しょぼい街で逃げ回りながら、過ごす時間、それがだらだらと描かれるだけだ。見ていて気分は塞いでくる。だが、そこがこの映画の狙いだ。
彼らの抱える閉塞感がお互いの共通項として重なりあい、そこになんとも言い難い友情のようなものが生じる。そんな瞬間が感動的だ。町内会のカラオケ大会で、妻夫木が『アジアの純真』を歌う。それを見たジョンウがいきなり飛び込み参加し、2人で歌うことになる。あのシーンが胸に沁みる。見ていて胸締め付けられる。
この映画の2人の関係がまさにそうであろう。2人は同じヤクザの親分のもとで働くただのチンピラである。まぁ、日本と韓国というふうに離れて生きてるが、ジョンウの仕事は密入国して麻薬を運ぶという行為で、妻夫木はそれを事務所まで運ぶ手伝いをすること。
ジョンウは自分が運んでいたものが麻薬であるとは知らなかった。プサンから山口まで、荷物を運び、オジキから十分なお金をもらう。それだけのことだ。そんな行為を今までただ繰り返してきた。
だが、ある日、麻薬よりとんでもないものの運搬を頼まれ、そこから彼は今まで敷かれていたレールからはみ出すことになる。その時巻き込んだのが妻夫木である。2人は行動を共にすることになる。そして、ジョンウは妻夫木の置かれた境遇を知る。どうしようもない家族を抱え、ただ彼らのために自分を犠牲にして働く。ボケを抱える祖母、どうしようもない妹、彼女の3人の子ども。(しかも、そのうちの一人は障害を持つ)そんな彼らを守らなくてはならない。彼にはなんの夢もない。恋人は他の男と結婚するようだ。仕方ない。諦めている。だが、ほんとうは諦めれるわけはない。
こんなどうしようもない2人が、とんでもないものの中身である女を通して、変わろうとする。この映画が描くのはそんな瞬間だ。女は父親を捜す。2人は女を攫うことで親分に刃向かうこととなる。だが、このストーリーから想起されるようなアクションはここにはない。しょぼい街で逃げ回りながら、過ごす時間、それがだらだらと描かれるだけだ。見ていて気分は塞いでくる。だが、そこがこの映画の狙いだ。
彼らの抱える閉塞感がお互いの共通項として重なりあい、そこになんとも言い難い友情のようなものが生じる。そんな瞬間が感動的だ。町内会のカラオケ大会で、妻夫木が『アジアの純真』を歌う。それを見たジョンウがいきなり飛び込み参加し、2人で歌うことになる。あのシーンが胸に沁みる。見ていて胸締め付けられる。