習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ロングナイト・ジャーニー この夜の涯てへ』

2020-03-11 22:19:17 | 映画


こんな映画、今まで見たことがない。これは監督であるビー・ガンのわがままな夢の世界をそのまま実現しただけ。ナレーションが多くてお話の整合性もない。人と人との関係もよくわからない。そんなところも含めて夢の時間のような映画なのである。細かいところは気にせず、なんとなく目で追うだけでいい。そうするとどこかに連れて行かれる。それが何なのか、そこに託された意味とか、そんなことも気にせずともよい。だってこれは彼のただの夢でしかないからだ。

旅をしていて,こんな経験はよくある。中国の、何処とも知れない小さな町を歩く。そんなときだ。夜の町は寂しい。人気は少ないけど、店はそれなりに賑わっている。どうしてこんなところに自分は今いるのだろう、と思うことがある。この映画はそんな時の気分に近い。

甘美な夢の世界をたゆたう。前半は夏至の日。12年ぶりに故郷に帰る。父の死による帰郷だ。その現実の風景の中で,彼は幻を追い求める。目覚めた状態で見る夢。ここではまだ、お話を追いかけてしまっていた。細切れでよくわからない。でも、だんだんどうでもよくなってくる。これはすべてが夢なのだ。だから理屈もないし、つじつまも合わなくていい。そう思うと、どうでもよくなってくる。そんなふうにして1時間以上の時間が過ぎる。もうこれは映画としては破綻している。だから居心地が悪かった。でも、それはこの後への布石でしかないのだ。

映画の後半。冬至の日。映画館で居眠りしていて、夜がやってくる。ここからの1時間は凄い。本国では3D上映だったようだが、日本では2D上映だったけど、1時間ワンカットで見せきる無理矢理のギミックの凄まじさだけでも充分意図は伝わってくる。息苦しいくらいに心地よい。(というか、それって心地よくはない、ってことだろうけど)ストーリーの整合性なんか最初からなかったけど、圧倒的だ。もうただただ見守るだけでいい、と思える。夢から覚めない。それはラストの消えない花火に象徴される。

フェードアウトして闇の中に消えていく。そこからはあなたの夢だ。映画が終わっても夢の中に止まる。あのラストシーンは象徴的だ。一瞬であるはずの花火と、永遠である時計が交錯して、スクリーンから主人公のふたりが消えて、花火が残る。だいたいあの1時間に及ぶワンシークエンス自体が一瞬で永遠だ。ここには何もない。2時間20分に及ぶ虚しい時間だけが過ぎていく。

僕はこんな映画は認めない。これはビー・ガンの自己満足でしかない。だけど、その自己満足のためにみんなが付き合い、この映画が実現したのも事実だ。そして、たくさんの観客がこれを支持し大ヒットした。(なんと中国では1日で41億円を稼ぎ出したらしい)それくらいにこの映画の見せる夢の世界は魅力的だったのだ。誰もがこの甘美な夢の世界に酔いしれた。こんなの映画じゃない、と思いながらも、これを受け入れていた。見た瞬間に忘れても構わない。だって夢ってそんなもんだし。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ジュディ 虹の彼方に』 | トップ | 大阪劇団協議会プロデュース... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。