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映画・演劇のレビュー

『飢餓海峡』

2015-03-10 21:53:35 | 映画
中3の頃、どうしても見たい映画が1本あった。公開された時に、すぐに行きたかった。でも、受験前だったので、怖くて行けなかった。映画なんかに行って入試に落ちたなら、人生終わりだ、と思った。それに親が許さないし。まだ14歳だったから、そんな感じ、だったのだ。今なら、すぐ行く。だいたいそこまで映画に執着しないし。

あの当時、喉から手が出るほど恋い焦がれた。見れない(あるいは、出来ない、会えないとか、いくらでも、バリエーションがあるね)と、思うと余計にそうなるのは必定だが。でも、どうしても我慢できなくて、親に隠れて、梅田東映バラス(今はもうない)に見に行った。それが『飢餓海峡』、なのではない。

『砂の器』である。そして、魂を揺さぶられるほどの感動をした。映画を見てから、映画のことばかりが、気になって勉強は手に付かなくなった。その日も2回見たけど(当時は入れ替え制ではないから、1日に何度でも見れる。しかも、普通の映画は2本立だった。でも、砂の器だけは1本立でロードショーされていた)その後も、何度となく見た。(当時はDVDはないから、劇場で、)生涯の1本だと思った。

その後、無事、高校生になってから2年。忘れもしない高2の秋だ。(たぶん) 梅田東映で(もちろん、今はもうない)『飢餓海峡』がリバイバルされることになった。当時の僕の映画の神様、佐藤忠男の『日本映画100選』(確かそんなタイトルだった。家の本棚に今もあるはず)で知った。これって『砂の器』と同じ話じゃないか、と思った。(もちろん、当時ね)だから、ちょっと眉つばで見に行ったのだが、まさか、ここまで衝撃を受けるなんて、思いもしなかった。(17歳は多感だ)

この2本の映画を思い出すだけで、胸が熱くなる。映画というものの持つ力を思い知らされた。そして、あれからもう40年近くの歳月が経ち、今回、「午前10時の映画祭」で、この2本がラインナップされているのを見た時、これは絶対見ない、と思った。だいたい、「午前10時の映画祭」の作品は1本も見たくはない。すべて、すでに何度も見ている作品ばかりで、僕にとっては、思い出探しにしかならないからだ。

今、浴びるように映画を見ている自分が、この2本を見たなら、どんな気がするだろうか。怖い気もした。しかし、「午前10時の映画祭」で1本だけ見るなら、どれを見るか、と考えた時、『砂の器』ではなく、『飢餓海峡』だ、と思った。

たまたま、だ。3週間くらい前、テスト中でクラブがなかった日曜の朝、西宮で上映していたのだ。200席ほどのキャパのそこそこ大きなスクリーンでの上映だった。見てしまったのである。圧倒的だった。内田吐夢監督の最高傑作だ。10代の僕の目に狂いはない。あの頃の僕を震撼させた映画がそこにはあった。と、思ったのだが、、、

後半、意外な気がした。こんなあっけない映画だったのか。もっともっとあったのではなかったのか。これで終わりか? あまりにあっけなさ過ぎて、驚いた。こんな単純な映画ではなかった、気がしたが、それはあの時の僕の興奮がそう思わせたのだろう。

今の映画なら、これは大仰でこれ見よがしな作品でしかない。いい映画だとは思う。しかし、これはもう古い。時代の差、技術の差、認識の差を差し引いても、これを傑作だとは、今の僕は思わない。少し寂しかった。

今、TOHOシネマズなんばで、『砂の器』が上映されている。行かない、つもりだ。だが、今度の日曜はちょうど、なんばのすぐ近くで、1時から仕事だ。時間は合う。


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