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先日見たこの映画の監督であるパナヒの息子が撮った映画『君は行く先を知らない』と同じで、イランのことがわからないから、この映画に込められた深い意味はわからない。それがとてももどかしい。ストレートに描くわけにはいかないから、いろいろ暗喩が込められていて、それが頭ではわかるのだけど、体ではわからないから、表面上の理解しかできない。ジャファル・パナヒ監督が命懸けで作ったはずの魂の一作なのに。主演を兼ねるパナヒ自身には悲壮感はない。そんなところで留まっているわけにはいかないからだ。常に前進し戦い続けるしかない。イランの民主化のために。
さまざまな規制があるイランで政治的なメッセージを孕む映画を作ることがどれだけ困難なことが、それはわかる。実際この映画の前に彼は政府から20年の映画制作を禁止されている。それでも彼はゲリラ的に作品を作る。さらにはこの映画完成後、逮捕されているようだ。
冒頭の長回しによるエピソードは衝撃的だ。この映画の仕掛けがそこには施されてあるのだが、そこに込められた暗喩は作品全体のテーマとも重なり合う。カット、がかけられこれが映画の撮影だとわかると同時に、これがドキュメンタリーであり主人公の男女は現実のここから亡命しようとしている。しかもそこはイランではなくトルコで、これは遠隔でパナヒが撮っている新作映画。このギミックが示唆するものはこの映画の基本姿勢となる。そして彼が今ひとりで滞在している村での現実。ここはもちろんイランのとある村。彼はここでの現実と直面する。
自らが演じた映画監督が、今作る映画と彼が今いる村での現実が交錯していく。ふたつのドラマの中で起きる2組のカップルの運命。自由が規制される世界はフィクションではなく、イランの現実だ。そこで映画を武器にして戦う。とても勇気のある映画である。