こんな凄い映画があったのだ。知らなかった。というか、今までなかなか見たくても見れなかったのだ。今、配信で簡単に見ようと思えばすぐに昔の映画が見れる。ありがたいことだ。でも、なんだか有難味がなくなった気もする。贅沢な話だ。
冒頭の昼休みにサラリーマンたちのスケッチから驚かされる。会社のあるビルの屋上で遊ぶ彼らの姿をミュージカル風に処理して見せていくところから、ふつうじゃない。なんなんだ、このノーテンキな躍動感は! そんな中で、主人公の江分利満(小林桂樹)は、つまらない、とつぶやく。
1960年代前半の東京を舞台にしたサラリーマンの日常のスケッチを描く。33歳、サントリーの広告部所属、としっかり会社名まであからさまに出てくる。毎日酒ばかり飲んでいる。それが当たり前。仕事はテキトーにしているみたいで、自分のことを無能だと言っている。そんないい加減な男の日々である。でも、それは今の時代ではありえないし、きっとあの頃でだって、こんなのってふつうじゃないはず。なのに、なんかリアルに見えてくる。彼の抱える怒りがコメディの枠内で綴られていく。つまさない日々のスケッチになぜか、優雅な生活と名付けられる。そこに込められたものがこの映画の魅力だろう。戦争の対する視線や60年代の世相が背景にして描かれているのだが、そこをスルーして、ただ、目の前で展開されていく江分利満氏の毎日を見守るだけで僕たちには凄い冒険なのだ。
自分の毎日や、家族のこと、すさまじい父親のことや、回想では子供時代から今までもが描かれていくのだが、強烈すぎて笑うしかない。さらにはそれを小説として書くという設定。それで直木賞を受ける、なんていう嘘みたいな展開。冗談のように見えてそこには岡本喜八の本気が潜む。
山口瞳の自伝的小説の映画化なのだけれど、そのバカバカしさと愚かしさには圧倒される。こんなのは眉唾物のほら話だよ、と思いつつも、圧倒される。リアルすぎる60年代の現実が背景として描きこまれてある。リアルすぎる現実から目が離せない。コメデイの装いをしながらも、笑いは凍る。岡本喜八の才気が迸る傑作である。1963年にこんな凄いものが作られていた。そして、それが作られてから60年近くの歳月を経ても僕にこれだけの衝撃を与える。