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映画・演劇のレビュー

『休暇』

2009-09-14 08:18:34 | 映画
 昨年ひっそりと何の宣伝もなく公開されて、ほとんど誰にも知られず公開を終えた吉村昭原作『休暇』をようやく見た。無名の監督(門井肇)、脚本(佐向大)、地味を絵にかいたような内容、キャスティング。山梨日日新聞、山梨放送の製作。ここまで注目を集めないような映画はなかろう。

 だが、この映画はたぶん昨年公開されたすべての日本映画のなかでも白眉であろう。こんなにも心動かされる傑作はない。すべてがあのラストに向けて収斂されていく。死刑反対なんていうメッセージ色が前面に出るプロパガンダではない。人が生きること、その痛みが心の奥にまで沁みてくる、そんな映画である。

 ただ淡々とその日までが描かれる。死刑の判決を受けた受刑者(西島秀俊)と、彼の支え役となる刑務官(小林薫)。2人の物語が静かな文体の中で語られていく。タイトルとなった「休暇」とは、死刑の業務に携わった刑務官に与えられた特別休暇である。彼はその休暇をとることで家族と初めての旅にでる。もう40代後半になるのに、その年まで結婚をしなかった。お見合いで会った女性は再婚で6歳の子供がいる。周囲の期待にこたえるため、彼はその結婚を受け入れる。もちろん相手の女性が気に入ったからだ。結婚式の前日、刑は執行される。彼は自分から執行に立ち会うことを申し出る。それは休暇が欲しかったからではない。だが、その休暇によって新婚旅行を兼ねた初めての旅が可能になる。支え役を志願しなかったなら、彼は休むことは出来なかった。子供を連れての3人の旅と、西島の処刑までの日々が交互に描かれていく。

 この無口な映画は(主人公2人も、映画の中でほとんど話さないで、黙ったままだ)ストーリーを説明しないし、2人の心情も語らない。もちろん話さなくても分かる面は多々あるのだが、それだけが理由ではない。西島の過去にしたって、彼の部屋に佇む2人の初老の男女の姿だけで描かれる。何をしたかも、どんな理由かも語られることはない。

 犯罪を犯す。死刑になる。ある種の理には叶う。だが、そこにある殺伐としたものが、ただ事実だけを列記した文体で描かれる。救いのない映画ではない。そこから感じられるのは、生きることの痛みと、その素晴らしさだ。他人でしかなかった3人が家族になる瞬間が西島の死刑と引き換えに描かれる。それを「死と再生」だなんて当然言わない。それはただの事実だ。押しつけがましいことは一切ない。これはそういうことではないんだ。

 良心的な映画だ、なんて言わない。ただ、あるがままに描かれて、それを受け止める。その当たり前のことに心を打たれる。

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