壮大なドラマである。戦争の時代を含む100年に及ぶ大河ドラマだ。それって先日までやっていた朝ドラ『カムカムエブリデイ』と一緒じゃないか、とも思う。あれは3世代に及ぶお話だが、実はこれも同じなのだ。主人公はニコデモという一人の音楽家。彼のたどった100年以上に及ぶ人生に奇跡(軌跡)を描くのだが、一筋縄ではいかない。
2部作構成で、第1部はニコデモを主人公にしているのだが、彼が出会う正太郎という男の子とふたりのドラマが交互に語られる。だから主人公はこのふたりなのだ。新潟まで正太郎少年を連れていく旅から始まるのだが、その後、枝分かれしてニコデモのお話(パリが舞台)と正太郎のお話(小樽が舞台)が章ごとで交互に語られるのである。
さらに、第2部に至ると、正太郎の息子、哲次が主人公になる。(東京が舞台になる)終盤に至ると哲次の孫がこのお話全体を語っていたことが明らかになる。主人公を変え、さまざまな人物の語りを交え、紆余曲折を重ねながら、やがて行方不明だったニコデモの消息が明らかになり、彼が死ぬところでエンド、となる。だから、お話全体は哲次の孫がニコデモから聞いた話の伝録。記憶を失くしていたニコデモ老人の語ったその奇想天外なお話なのだ。そのすべてが事実か否かはわからない。ありえないことの連続だし、お話の序盤でのフランスでの出来事なんか、ただのファンタジーだ。だけど、そこに描かれる音楽のすべてを教えられたニコデモが、すべてを失うという展開は、このお話全体のベースとなる。ここから話は展開する。
でも、これはニコデモの話ではなく、正太郎の一族のお話である。正太郎の家族の肖像が描かれていく。彼と彼の妻、子供たち、孫、そしてひ孫にまで及ぶ。結果的には「無名の天才音楽家」ニコデモの生涯を描くことになる。だいたいニコデモって名前はなんなんだ、と思う。そこでウイキペディアで調べると「ニコデモ(ギリシア語:Νικόδημος)は新約聖書のヨハネによる福音書に登場するユダヤ人であり、イエスに共鳴した人物として描かれている」とある。
すべてを持つもの、ニコデモと、何も持たないもの、正太郎。彼らを対比するのではなく、彼らの運命を、彼らの周囲の人々が複雑に絡む合うドラマの中で、見せていきながら「音楽」を通して、世界を向き合う姿が描かれる。これはなんだかとんでもなく大胆な小説なのだ。しかもそれがたった300ページほどの分量で描き尽くされていく。なんとも凄い。