空き家の管理をする仕事に就いた。定年間近で。それまでの新築物件を扱う親不動産会社から飛ばされてきたのだ。だが、閑職に追いやられたと思い腐るのではなく、新しい挑戦として受け止める。空き家の数だけそこには家族があり、家族の数だけ事情もある。そんなさまざまな家族のその後を見守ることで、人生の後半戦をスタートさせる。お話自体はなかなか興味深い。アラ還世代あるあるから始まって、自分たちの人生とどう向き合うか、という普遍的な問題が描かれる。だからこれは特定の世代だけの問題ではない。
空き家のメンテナンス業に携わることになった58歳の主人公と両親の介護を終え介護ロスに陥っていた妻。31歳、売れない役者をしている息子。彼ら3人家族が向き合う人生の第二章は周りの人たちを巻き込み展開していく。
妻は瀟洒な洋館で謎の婦人が執り行う「お茶会」に参加し、介護ロスを乗り越えつつあった。しかし、空き家になっていた妻の実家が、気鋭の空間リノベーターによって死体置き場(遺体安置所)に改装されようとしていることを知ることで両親の残した家をどうするのか、という問題に突き当たる。さらには仲の悪い兄との確執へと話は進む。お話の前半部分はかなり面白く、3人家族の抱えたそれぞれの側面から彼らの今が重松清らしい軽妙なタッチで軽快に描かれるが、妻の実家の解体の話になったところからつまらなくなる。お話がつまらない方向に絞り込まれるのだ。空き家の再活用の話全般から実家を死体置き場にするのを阻止する話にシフトされたところで、善悪の二分法に収まっていくが、死体置き場というから禍々しいが、遺体安置所、あるいは葬儀待機所ならいいのではないか。新しい家族葬の形の定義、提案として受け止めて問題と向き合うべきだった。これは空き家のリノベーションについてのひとつの指針になる。
せっかくいろんなところへと広がっていく可能性のある話を途中から小さくまとめたことで、その可能性を狭めることになった気がする。とてももったいない。