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映画・演劇のレビュー

『座頭市 THE LAST』

2010-06-19 22:42:37 | 映画
 阪本順治監督作品である。この映画はただそれだけで注目を集める。香取慎吾が主演であることよりも阪本監督作品であることの方が大事である。だいたいなんで香取が座頭市なんだ? それになんで今時、座頭市なんだ? そんな疑問も気にしない。わからなくてもよい。阪本監督がチョイスしたのだから、ただそれだけで信じる。

 とは言え、映画自体はいつまでたっても弾まない。エンタメでもないし、アートでもない。なんだか中途半端な代物だ。今回の彼の課題は何だったのか。ただ、時代劇を一度撮ってみたかったから、なんて言わないだろう。「座頭市の最期」という特別な設定から、たどり着こうとしたものが、観客である僕の胸には届かない。

 冒頭で最愛の女を死なせてしまう。傷心の市は死に場所を求めて故郷の村に帰ってくる。ここでまた揉め事に巻き込まれる。存在そのものがトラブルメイカーである彼が、百姓となることを通して静かに余生を送れるはずはない。

 ヤクザ同士のいざこざが当然ある。巻き込まれる。村人の生活を守ろうとする。ヤクザたちを斬る。2時間12分という長尺になったのも、こんなにもシンプルなストーリーからは考えられない。でも、不要な枝葉からそうなる。アクションは華麗な殺陣ではない。なんだか肉弾戦で、香取慎吾演じる市はあまり強いとは思わない。でも、そんな彼が巨大な敵を倒していく。でも、そこは血沸き肉踊るというわけではない。なんとも消化不良を起こしそうな映画である。泥臭いアクションは阪本監督の望むところだろうが、それだけでは映画としては成立しない。仲代達矢演じるモンスターのような悪役である親分、彼の用心棒である豊原巧補(昔ならこの役は仲代だろう)の狂ったような芝居、それらは確かに目を引く。だが、それだけなのだ。

 冒頭の石原さとみが死ぬシーンでの香取の悲しみがもっと伝わらないことには映画としての説得力がない。ここから映画は、生きる望みを断たれた彼がそれでも死なずに生きる姿を描くのである。これは「どう生きるのか」がテーマなのだ。だから、本当は死に場所を探す旅ではない。だが単純に百姓としてひっそりと生きる、というのもなんだか、違う。

 では、これは何なのか。残念ながらその焦点がぼやけたままだ。ラストにちゃんと出てくる『完』という字が似合うような抜けが欲しい。

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