タル・ベーラ監督の新作で、昨年のキネマ旬報ベストワンに輝いた作品だ。でも、あまりに地味すぎないか。キネ旬のベストワンはいつもその年の象徴的な作品になるのが常だった。要するに芸術的に優れているとかいう問題ではなく、一番、一応評論家(である大衆)から支持された作品が相対的に1位となるというのが、定番なのだ。だが、その流れが近年崩れてきた。今回の1位なんて、ありえない。映画はとてもよくできた作品だ。それは目の肥えた観客なら誰もが認めるだろう。だが、こういう作品を普通の観客は支持しない。わけのわからない(ということにしておく)芸術映画でしかない。
モノクロで2時間半。何も話はない。ただ、老いた父親と娘が過ごす日々を馬鹿丁寧に見せていくだけ。しかも、ものすごい長回し。そのくせ、何も起きない。途中でトイレに行っていても大丈夫。まだ、主人公の朝の着替えも、食事も終わってないから。だいたい、それを見逃してもそのあとドラマは起きない。すさまじい風。世界の終わりのような場所で暮らす。馬はもう動かない。じゃがいもだけの食事。同じことの繰り返しでしない毎日。井戸の水も枯れる。やがて、死ぬしかない。でも、それまでは生きている。
世界の終りを描くという意味では、同じ年に公開されたラース・フォン・トリアーの『メランコリア』とも通じる。でも、まだあれにはもう少し話があった。まぁ、普通の映画ファンにしてみれば、あれでも十分退屈だったはずだが、この映画はその比ではない。しかも、劇場でなら逃げ場がないから、スクリーンに集中できるけど、もしDVDで見たなら、真っ暗にして見なければ、暗すぎて、何が映っているのかすら、わからないし、それは疲れる。見るだけで目が疲れるのだ。もちろん内容も疲れる内容だ。ストーリーらしいストーリーなんかないに等しい。身も心もボロボロになる映画だ。今までのタル・ベーラ監督の作品もそうだったが、あれら以上に今回はきつい。
映画としてはとても優れていることはわかる。だから、これがベストワンになるのは、選者たちの選考基準の高さを指し示す、なんて言ってもいい。だが、仮にも映画評論家先生たちの選考なのだ。それをなかなかよろしい、なんて言うのは、失礼だろう。誰かのせいではないけど、全員の総意がこの結果を生んだということにしておこう。これは一般観客の想いとは完全にかけ離れた結果である。
モノクロで2時間半。何も話はない。ただ、老いた父親と娘が過ごす日々を馬鹿丁寧に見せていくだけ。しかも、ものすごい長回し。そのくせ、何も起きない。途中でトイレに行っていても大丈夫。まだ、主人公の朝の着替えも、食事も終わってないから。だいたい、それを見逃してもそのあとドラマは起きない。すさまじい風。世界の終わりのような場所で暮らす。馬はもう動かない。じゃがいもだけの食事。同じことの繰り返しでしない毎日。井戸の水も枯れる。やがて、死ぬしかない。でも、それまでは生きている。
世界の終りを描くという意味では、同じ年に公開されたラース・フォン・トリアーの『メランコリア』とも通じる。でも、まだあれにはもう少し話があった。まぁ、普通の映画ファンにしてみれば、あれでも十分退屈だったはずだが、この映画はその比ではない。しかも、劇場でなら逃げ場がないから、スクリーンに集中できるけど、もしDVDで見たなら、真っ暗にして見なければ、暗すぎて、何が映っているのかすら、わからないし、それは疲れる。見るだけで目が疲れるのだ。もちろん内容も疲れる内容だ。ストーリーらしいストーリーなんかないに等しい。身も心もボロボロになる映画だ。今までのタル・ベーラ監督の作品もそうだったが、あれら以上に今回はきつい。
映画としてはとても優れていることはわかる。だから、これがベストワンになるのは、選者たちの選考基準の高さを指し示す、なんて言ってもいい。だが、仮にも映画評論家先生たちの選考なのだ。それをなかなかよろしい、なんて言うのは、失礼だろう。誰かのせいではないけど、全員の総意がこの結果を生んだということにしておこう。これは一般観客の想いとは完全にかけ離れた結果である。