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映画・演劇のレビュー

プロジェクトKUTO-10『骨から星へ』

2016-03-20 21:35:34 | 演劇

 

キューブリックの『2001年宇宙の旅』の冒頭の衝撃的なシーンがこのタイトルの所以なのだが、芝居自体もあの場面に言及している。主人公のふたりの出会いのシーンでそれは語られる。工藤俊作と久保田浩演じる男たちは駅のベンチで出会い、会話を交わす。ここはリアルな場所ではなく、そこは幻想と出会う場所で、宮沢賢治のファンタジーを思わせる。もちろん、『銀河鉄道の夜』だ。ということは、ふたりはジョバンニとカンパネルラなのか。

 

でも、見知らぬ他人である彼らがなんとなく「電車の車内ではどうしてあんなに他人が近いのでしょうか?」なんていう会話を交わすところから始まる物語は彼らのどちらかが死んでいくわけではない。

 

駅のホームで、たまたま出会う見知らぬ他人と交わす数々の会話。だが、それは他人ではない。彼らの過去の身近な人たちである。老人とその介護をする女性。あの男はもしかしたら、彼らの近い未来なのかもしれない。工藤の勤めていた学校の女校長と彼の弟。久保田の妻と娘。2人ずつセットで登場する。やがて、これは家族喪失のドラマだったことに気づく。仕事と家族。そのせめぎ合いの中に人生がある。どちらにも挫折した。やがてやってくる老いを目前に控え、ひとりである自分を持て余し、いや、孤独に震えて、こんなところで、一人佇む。

 

50代を迎えた工藤さんの感慨がこの作品の根底にはあるのだろうか。それに共鳴した台本の中村さんと演出の岩崎さんが共犯者となり、この大人のメルヘンを立ち上げた。今回の「作、中村賢司 演出、岩崎正裕」という組み合わせを見た時、これはきっと今まで以上の本気さで芝居を企んでいるはずだ、と思った。ストレートに大人の男のお話であろうと、踏んだ。期待は予定通り。

だけど、もっとリアリスムだと思ったのに、メルヘンだったのには、驚く。作品は中村さん寄りのものとなった。岩崎さんの主人公を追いつめていく作劇はしない。だが、それが詰めの甘さにはならない。演じるふたりが十分自らの抱える孤独を代弁するからだ。台本と演出は、その内面を彼らに委ねたらよい。いい芝居というのはそういうふうに出来る。

 

彼らのお話を無表情で見守る林田あゆみ演じる駅員の存在がすばらしい。最後にちゃんと彼女の見せ場も作るのもいい。いろんな意味でよく出来た作品である。熟練の技を見せられた気分で、そんな実に気持ちのいい作品に出会えたことに満足する。


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