この映画のたわいなさはちょっとした驚きだ。こんなにもお話がない映画は珍しい。しかも、それをすまなそうにする(見せる)わけではない。もちろんえらそうにもしない。なんだかとても自然体なのだ。自然体で、もの足りない。ストーリーで見せる気はまるでない。ただのスケッチだ。さりげない、ということすら言えないほど、どうでもいいことの羅列だ。でも、それが、それなのに、心地よい。ラストに至ってはそれはないでしょ、というしかない。B級映画の安易なラストシーンのように、芙美ちゃん(小林聡美)は大喜びして飛んでしまうのだ。心が飛んでしまうので、実際に飛び上がるシーンのストップモーションで終わるのだけど、まさか、それはないわ、と思った。単純なハッピーエンドではない。そこまでのさらりとしたタッチの先にそれがあるから。でも、なんだかとても強引。
映画は小学生の男の子によるナレーションで綴られていく。隕石とぶつかった芙美ちゃんの観察日記のようなスタイル。彼と芙美ちゃんとの交流を中心にしたお話なのだが、ふたりの話ではなく、あくまでも「芙美ちゃん」なのだ。航平くんは歳の離れた小さな親友。そして事故で亡くした息子の身代わり。「航平く~ん、遊びましょ」と小林聡美が彼を誘うシーンが微笑ましい。そして悲しい。彼女は悲しい顔なんて、一切見せないけど。
ひそかな恋もある。なんとお相手は松重豊! ふたりのキスシーンなんかまであるのだ。なんだか、恥ずかしい。それは見ていてあまりにそっけない描写だから、まるで近所の人の生活を覗き見しているようで、映画であることを忘れるからだ。平山秀幸監督がこんな映画を作るのか、と驚く。そして、これがやりたかったのか、と納得する。傷みを抱えて、どうってことない毎日を生きる彼女の日々が愛おしい。
どうでもいいようなことが、なんだかとても素敵で輝いている。田舎町で仲のいい友人たち(芙美ちゃんとの「なかよし3人組」を演じるのは平岩紙と江口のりこ。このふたりがとてもいい!)に囲まれて、ひっそりと、けなげに、暮らしている。最後に余談だが(それに、どうでもいいことだけど、)映画の中で(もちろん現実で、でも)伊豆ナンバーの車なんて初めて見たのではないか。