待ちに待った期待の新刊。一昨年の正月、偶然図書館で彼女の『私を月に連れてって』を手にして、衝撃を受けた。こんな凄い作家がいたのか、と。しかも現役高校生! 慌てて彼女の既刊も読んだ。14歳でデビューして毎年1冊ずつ刊行しているなんて、驚きだった。しかもデビュー作『さよなら、田中さん』の時点でもう凄い作品を書いている。もちろん最高傑作は『私を月に連れてって』なのだが、これまでの4冊、いずれも面白い。
そんな彼女が大学受験勉強の合間に書いたのが本作。5冊目作品は長編。しかも今回は今までの作品とは違い、完全フィクションだ(ろう)。田中花実は登場しない。でも、(もちろん)今回も今の自分の年齢と同じ年の女の子を主人公にしている。高校3年生受験生の水咲が主人公。さすがにパンツ泥棒の憧れの先生、は実在しないだろうけど。最初から最後まで彼女の視点から描かれるので、彼は彼女の目に見えるものしか、僕たちにもわからない。だから、どうして彼がこんな犯罪に手を染めることになったのかは謎のままだ。そこがもどかしい。どう考えてもありえない。それは僕よりも水咲自身が感じていることだろう。まじめでやさしい彼がストレスから800枚もの女性のパンツを盗んでいたなんて。
鈴木るりかは敢えて彼からの視点は一切描かなかったし、逮捕された後の彼との接点も描かない。この状況だけから、彼女のその後をレポートする。わからないことはわからないまま描くことに徹する。だから、消化不良の小説となった。でも、「18歳の私にはこういうふうにしか書けないのです」という断固としたこだわりがそこにはある(気がする)。それは確かに潔い。でも、これを完結した小説と受け止めるなら、これでは不完全だ。そんなこと承知の上で、未完成な作品としてこれを提示したのだろう。
この世界にはありえないようなことが確かにある。信じていた人が裏切ることもある。いや、そんなことなら山盛りあるだろう。そして誰もがあの人がそんなことをするわけない、と言うのだろう。
水咲はそれでも教育大を目指すことにした。強い意志からではないけど、今自分が何をなすべきなのか、に対して今の自分の答えを出す。進路変更はしない。教師になりたいという気持ちは教育への使命感から強く望むわけではないけど、彼女はそこでぶれない。大好きだった先生と同じ教職に就くこと。(彼は免職になったけど)
この小説は「テーマが(最初に)ある」のではなく、まず「主人公がいる」というところから始まる。彼女がこの事件と向き合い、ショックを受けた後、どう立ち直るのか、それだけで成り立つ。だから、僕の不満はないものねだりなのだ。だけど、なんだかもの足りない、と思ったこともまた、事実だけど。