この映画を見ながら、『パイドパイパー』と較べている自分に驚く。まるで違うじゃないか、と知りつつも、ひとりの少女が世界を救うドラマという括りをそこに見出して、これは違うとひとりごちている。
押井守のこの最新作は、前作『パトレイバー 首都決戦』に続いて、少女が戦うドラマだ。ヒロインは真野恵理菜に続いて今回は清野菜名。何が起きているのか、わからない。美術専門学校に通うかつての天才少女。しかし、今では役立たず。以前は学校の宣伝塔として機能した。だが、スランプに陥り、生彩を欠く。 周囲は腫れものにでも触るようにして扱うが、一部の女子生徒は彼女が気に入らない。凄惨な虐めに合う。
何も語られず、ただ、彼女の姿を追いかけるばかりだ。ストーリーなんてない。何かが起こる予感だけは随所にある。頻繁に続く地震。ヘリコプターの不気味な音。外と内とのダブルで生じる苛立ち。やがて、彼女を虐める女子たちに一瞬、刃向う。ドキドキさせる。それまで、彼女は抵抗しなかった。それは弱さではなく、相手にしていなかっただけ。彼女が弱いはずもない。その意志的な目を見ているだけで、彼女がどれだけ強いかはわかる。いつか、彼女が爆発する。この静謐な映画は、そこに向けてのカウントダウンなのだ。だが、その先に何があるのか。(宣伝でラスト15分の衝撃を盛んに煽っているから、確信犯)
だが、85分の映画である。1時間以上、何もない日常を見せてそこで緊張感を持続させるべきなのだが、思ったほど緊張させてきれない。そこにヒリヒリするような痛みが感じられないからだ。それはアクションシーンが始まってからも同じだ。抑えていたものが爆発する快感はない。清野菜名の素晴らしいアクション(ただ、僕たちはもう『TOKYO TRIBE』を見ているから彼女がアクションスターであることは十分に知り尽くしている)が炸裂しても驚かない。
やがて、驚愕のエンディングを迎える。現実の世界に戻ってきた彼女を待ち受けるものは悲惨な戦争だ。戦場へと復帰していく彼女を見送り、映画は終わる。だが、それでいいのか? その先こそが描くべきものなのではないか。それは塚本晋也監督が『野火』で見せてくれるからそこへとつなげればいい、とは思わない。(たまたま僕は、この映画の後、『野火』を見ただけだ)この中途半端な映画は予算の少なさが原因ではない。どちらが現実なのか、観客に委ねるとか、どこかで言っていたような、言ってなかったような、だが、押井監督は前作も今回も中途半端な映画ばかりだ。なぜ、そうなるのか。もっとふっきれた彼にしか作れないような映画が見たい。欲求不満は募るばかりだ。