「ホウ・シャオシェン」と書くより『侯 孝賢』と書くほうがピンとくる。最近はカタカナ表記が主流になり、漢字では書かないようだが。さて、その侯孝賢監督の最新作はパリを舞台にした作品だ。
アルベール・ラモレスの『赤い風船』へのオマージュである。小学校の頃、学校の体育館でこの映画を見せられた。あの頃は、ほんとうによく様々な映画を体育館で見た。そういう意味では実にいい学校だった。これは印象的な映画で、子供だった僕の胸に深く残る映画だった。映像詩なんて初めて見たし、何よりもまずパリの風景が新鮮で美しかった。そして、見知らぬ異国を少年の視点から旅をした。あの時感じた思いはもう忘れたし、今の自分にどんな影響を与えたのかも定かではないが、これを見たという記憶は鮮明に残っている。
さて今回の映画だが、あの映画とはあまり関係ない。侯 孝賢は自分の映画を撮るだけだ。彼が日本を舞台にして撮った『珈琲時光』と同じように。今回も台湾を離れ、外国語で映画を作る。だが、いつも彼の視点はぶれない。そこで生活している人たちのささやかな日常を丹念にスケッチしていく。彼にとっては外国でしかない場所を彼はきちんと生活空間として捉える。お話らしいお話はない。
主人公は3人。人形劇の仕事をしている女性(ジュリェット・ビノシュ)と彼の息子シモン。そして、彼のベビーシッターとなった台湾からの留学生ソン。彼らの日々が綴られていく。それを赤い風船が見守っている。
ただそれだけの映画である。あまりに緩いタッチに少し気が抜けるほどだ。事件らしい事件なんて起きない。だいたい僕たちの毎日に映画のような事件はない。だが、毎日ささいな何かがいつも起きている。映画は淡々とそんなスケッチを見せていく。窓の外には赤い風船がある。外を歩けば赤い風船が空に浮かんでいる。
シモン少年が何も言わないけど感じていること。そして、彼をきちんと距離を置いて見守るソンの視線。映画は声に出しては語らないからこそ、彼らの思いが痛いほど伝わってくる。寂しさとか孤独、希望とか夢、そんな誰もが胸に抱く感情が、そこには秘められている。この町で暮らす様々な人たちも同じような思いを抱いて生きていることであろう。個人的な事情はそれぞれある。そのひとつひとつを描くのではない。3人3様の思いすら言葉にしないまま、映画は流れるように綴られていく。
赤い風船に象徴させたホウ・シャオシェンの思いはしっかり伝わる。だが、この映画から今、映画監督として彼が感じていることは伝わらない。かっての胸の奥にまで、ずしんと響く映画を作り続けてきた侯 孝賢はここにはない。だから、僕はこれでは物足りない。
アルベール・ラモレスの『赤い風船』へのオマージュである。小学校の頃、学校の体育館でこの映画を見せられた。あの頃は、ほんとうによく様々な映画を体育館で見た。そういう意味では実にいい学校だった。これは印象的な映画で、子供だった僕の胸に深く残る映画だった。映像詩なんて初めて見たし、何よりもまずパリの風景が新鮮で美しかった。そして、見知らぬ異国を少年の視点から旅をした。あの時感じた思いはもう忘れたし、今の自分にどんな影響を与えたのかも定かではないが、これを見たという記憶は鮮明に残っている。
さて今回の映画だが、あの映画とはあまり関係ない。侯 孝賢は自分の映画を撮るだけだ。彼が日本を舞台にして撮った『珈琲時光』と同じように。今回も台湾を離れ、外国語で映画を作る。だが、いつも彼の視点はぶれない。そこで生活している人たちのささやかな日常を丹念にスケッチしていく。彼にとっては外国でしかない場所を彼はきちんと生活空間として捉える。お話らしいお話はない。
主人公は3人。人形劇の仕事をしている女性(ジュリェット・ビノシュ)と彼の息子シモン。そして、彼のベビーシッターとなった台湾からの留学生ソン。彼らの日々が綴られていく。それを赤い風船が見守っている。
ただそれだけの映画である。あまりに緩いタッチに少し気が抜けるほどだ。事件らしい事件なんて起きない。だいたい僕たちの毎日に映画のような事件はない。だが、毎日ささいな何かがいつも起きている。映画は淡々とそんなスケッチを見せていく。窓の外には赤い風船がある。外を歩けば赤い風船が空に浮かんでいる。
シモン少年が何も言わないけど感じていること。そして、彼をきちんと距離を置いて見守るソンの視線。映画は声に出しては語らないからこそ、彼らの思いが痛いほど伝わってくる。寂しさとか孤独、希望とか夢、そんな誰もが胸に抱く感情が、そこには秘められている。この町で暮らす様々な人たちも同じような思いを抱いて生きていることであろう。個人的な事情はそれぞれある。そのひとつひとつを描くのではない。3人3様の思いすら言葉にしないまま、映画は流れるように綴られていく。
赤い風船に象徴させたホウ・シャオシェンの思いはしっかり伝わる。だが、この映画から今、映画監督として彼が感じていることは伝わらない。かっての胸の奥にまで、ずしんと響く映画を作り続けてきた侯 孝賢はここにはない。だから、僕はこれでは物足りない。