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映画・演劇のレビュー

浪花グランドロマン『唇に聴いてみる』

2012-06-13 20:57:54 | 演劇
 80年代演劇のこのこだわりは、今の時代にはあまりにセンチメンタルすぎて、伝わりきらない。あの頃、あんなにも涙を流した感動の作品なのに、まるで胸に迫らないのが驚きだった。あの頃どうしてこの話に泣けたのだろうか。それは南河内万歳一座のエネルギッシュな舞台の熱気がセンチメンタルを突き抜けたことで生じたものなのか。でもそれはこの醒めた時代には、もう通用しないものなのか。

 演出の浦部さんは、敢えて一歩退いた状態で、客観性のある見せ方をする。それは仕方のないことだ。オリジナルのままの熱い芝居を目指したなら、空回りして、白々しいものにしかならない。70年代の熱気を引きずったあの頃とは、時代が違うのだ。クールな視線で、この熱いドラマを見せることで、オリジナルにこめられた想いはもう伝わらないということをこの芝居が体現してしまった。

 それって、かなりまずいことではないか。今風にアレンジし直すことが出来ない以上、これはこれでよかった、気もする。NGRは自分たちのテイストで、この作品をウエルメイドなものに仕立てた。作品自体の完成度も高い。だが、今、これをもう一度見せる意味はそこにはない。しかも、主人公2人を男優から女優に変えて演じさせたことで、本来あった「男のロマン」が損なわれた。だが、そうすることで反対に、描かれるドラマは自体はリアルなものになるのだ。

 「男のロマン」としてごまかせたことが、ごまかしきれなくなった。南河内がごまかしていたというのではない。男の生理として、押し切れたものが、女性ではリアリティーを付与できない、という意味だ。全体的にはNGRなのに、スマートな作品に仕上がっている。それは台本自体の力でもあろうが、ベテランであるこの集団の力量に負うところも大きい。それだけに、この熱のなさは、そうすることで、全体の危ういバランスを保とうとした浦部さんの戦略だったのかもしれない。

「勝ちたかったね」と唇を噛み締める少年の姿が、大人になった彼の姿の中に残るピュアなものと重なりあうことで、ここで取り残されたように生きる今の自分の痛みとなる。そのとき、この作品は感動的なドラマになったはずだ。せめてそこだけでも、原作を踏襲出来たならよかったのだが。






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