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映画・演劇のレビュー

ブルーシャトルプロデュース『龍の羅針盤 第二部 維新回天篇』

2017-02-07 00:03:56 | 演劇
昨年の第一部に続く完結編である。2部構成4時間の大作仕様で作られた壮大な歴史ドラマというスタイルで、ブルーシャトルの魅力を全開させようという試みだ。



確かにそれは第一部では成功した。だが、この第二部ではどうだったのか、というのが今回最大の興味だった。最初から二部構成で作られてあるから、全体の構造は出来ていたはずだ。前篇でばらまいた伏線をすべて収束させることは容易である。だが、広げた風呂敷をただ収めるだけでは、作品としてつまらなくなる。そんなことは最初からわかりきっていた話だ。作者である大塚雅史(もちろん演出、照明も兼ねる)の思惑がどの辺にあるかは、定かではないけど、まず役者たちを輝かせること。それを第一にしたことは想定の範囲内。そして、そこは成功している。役者たちは前篇以上にハードルの高いパフォーマンスを成し遂げてくれた。



だが、お話のほうは混迷を極める。西南戦争と龍馬の死というふたつの焦点を用意し、クライマックスに向かう、という最初から予定されていた台本通りの展開にはなっているが、「未来」への視点が描き切れない。明治という時代から21世紀を照射する、という意図が前面に出てこない。だから、歴史のお勉強にしかならないのが悔しい。せっかく、前篇であれだけいろんな要素をばらまいて、いくらでもお話を展開できる余地を見出したのに、そこに踏みとどまる。



縄(パンフにはちゃんとロープという表記があったのに、前回さんざん「縄」呼ばわりしたので、ここでもそのまま)を使うパフォーマンスは複雑に絡まるそれぞれの思惑を象徴する。そこを龍馬が搔い潜って(解きほぐして)行く、というコンセプトだ。もちろん視覚的な効果が第一でそれが素晴らしいということは前回書いた。だが、ハードルは上がっている。今回はその先を提示する必要があったはず。ラストで上から吊られた縄がどんどん落とされていくシーンが用意されたが、それだけでは足らない。



お話も、西郷がなぜラストサムライと呼ばれるか、そして、そこで武士の時代が完全に終わりを告げることにどういう意味があったか、を描き切れてない。さらには、龍馬が大政奉還を成し遂げた後、何を思ったか。そして運命の終末へのカウントダウンへのサスペンス。中岡はなぜ龍馬を殺そうとしたのか。実はここが最大の見せ場ではないか。今回の後篇のクライマックスをそこに持ってきたことは明白で、そのため中岡と龍馬のシーンから後篇をスタートさせたのではないのか。



引き継がれていく龍馬の羅針盤という作品全体のテーマと、誰が龍馬を殺したか、という謎。4時間のドラマの集約される場所は最初から決まっていた。だが、ここが未来への出口として描き切れないまま終わっていくのが残念でならない。「幕末死闘篇」が「維新回天篇」より面白くなるのは、題材からして当たり前の話だ。それでも、そうはさせないという意地を見せるためのこの第二部だったはず。



困難に挑んでいかにして、そこを乗り越えていくのかが、作家に定められた義務だ。大塚さんは残念ながら、失敗している。だが、それは龍馬だって同じことで誰もが思う通りにできるわけではなない。それでいい。この野心作を通して、試みたものは、必ず次回につながるはずだろう。だから僕は次が楽しみだ。
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