美しい自然に囲まれて、優しい人たちばかりが暮らすユートピアのような田舎の島に転校してきた少女は、ここで幸福に暮らす。だが、ここにはたったひとり、わけのわからない奴がいる。それが、彼女が所属させられた(この高校では全員どこかのクラブに入らなくてはならない)マット部の先輩である。彼がずっと彼女につきまとう。彼は見当はずれの暑苦しさで、彼女を困惑させる。密かに片想いする男の子への思いをよりによって、この先輩に知られる。すると、先輩は、おせっかいにも彼女に恋の師範をする。このバカバカしい漫画のような映画は、その異常なテンションに付いていけなくなる人も多数いるかもしれないが、できることなら、諦めずに最後まで見てもらいたい。そうすればきっと夢のような幸福に包まれるから。
これは難病ものである。実は。『世界の中心で愛を叫ぶ』のような映画なのだ。(たとえが古いなぁ) 心臓病を抱えた少女(川島海荷)が転地療養先の島で、遺された月日を精一杯生きる姿を描く感動のラブストーリーである。暖かい両親の愛情に見守られ、大好きな先輩に片想いし、気の弱い親友の女の子を助け、青春を謳歌する。
と、こんなふうに書くと、完全に嘘になるのだが、ラストまで見た人には、わかってもらえる。先に書いた大好きな先輩というのが、最後になると、変わる。ずっと彼女を見守っていたタイトルロールのこの「うざくて、きもい先輩」が実は彼女の大好きな人になる。はんにゃの金田哲という人が演じるこの先輩のあきれるような浮き方が、ラストで見事に嵌る。その瞬間泣きそうになる。これはなんてこころ優しい映画なのだろう、と思う。
これは、少女が見た幻想の世界だ。ここではヒロインの少女は、西表ヤマコなんてバカな名前で、うざい先輩からは「ヤマネコ!」と呼ばれている。しかも、この先輩はいつも目を剥いてドアップで顔を近付けてくるし。島の名前も火蜥蜴島なんていうし、なんともふざけている。このふざけたマンガ世界がこの映画のすごさだ。
もちろんこんな世界は、この世にはない。(全編過剰な彼女のナレーションで話を展開させていくのも意図的なものだ。)だが、この世界の中で、現実に彼女が病気で死んでいくまでが描かれる。それは事実なのだ。そして、彼は最後まで、彼女を大事にして、彼女を見守り続ける。それも事実だ。僕はそこに感動する。
まるで大林宣彦監督の『時をかける少女』のようなエンディングタイトルのミュージカルシーンがまた、すばらしい。あれだけでも、充分泣ける。映画全体が、くさくて、ださくて、でも純真で、だから、全てが許せるというところも、『時をかける少女』と同じだ。
これは難病ものである。実は。『世界の中心で愛を叫ぶ』のような映画なのだ。(たとえが古いなぁ) 心臓病を抱えた少女(川島海荷)が転地療養先の島で、遺された月日を精一杯生きる姿を描く感動のラブストーリーである。暖かい両親の愛情に見守られ、大好きな先輩に片想いし、気の弱い親友の女の子を助け、青春を謳歌する。
と、こんなふうに書くと、完全に嘘になるのだが、ラストまで見た人には、わかってもらえる。先に書いた大好きな先輩というのが、最後になると、変わる。ずっと彼女を見守っていたタイトルロールのこの「うざくて、きもい先輩」が実は彼女の大好きな人になる。はんにゃの金田哲という人が演じるこの先輩のあきれるような浮き方が、ラストで見事に嵌る。その瞬間泣きそうになる。これはなんてこころ優しい映画なのだろう、と思う。
これは、少女が見た幻想の世界だ。ここではヒロインの少女は、西表ヤマコなんてバカな名前で、うざい先輩からは「ヤマネコ!」と呼ばれている。しかも、この先輩はいつも目を剥いてドアップで顔を近付けてくるし。島の名前も火蜥蜴島なんていうし、なんともふざけている。このふざけたマンガ世界がこの映画のすごさだ。
もちろんこんな世界は、この世にはない。(全編過剰な彼女のナレーションで話を展開させていくのも意図的なものだ。)だが、この世界の中で、現実に彼女が病気で死んでいくまでが描かれる。それは事実なのだ。そして、彼は最後まで、彼女を大事にして、彼女を見守り続ける。それも事実だ。僕はそこに感動する。
まるで大林宣彦監督の『時をかける少女』のようなエンディングタイトルのミュージカルシーンがまた、すばらしい。あれだけでも、充分泣ける。映画全体が、くさくて、ださくて、でも純真で、だから、全てが許せるというところも、『時をかける少女』と同じだ。