2年前の初演も見ている。緊張感ある素晴らしい舞台だった。いささか観念的で、難しい芝居だったが、お話としてではなく感覚的に伝わってくる。震災によっていろんなものを失い、これから先どう生きたらいいのかに不安を抱える人たちの姿を、1人の青年が山に入るという行為を通してあぶり出していく。今回のほうがわかりやすい。
もともとはワークショップで作られた短編だった。それを様々な人たちへの取材を通して膨らませていくことで長編として再構成した。それを、さらに進化させての今回の再演である。これはもう再演というより、ヴァージョンアップさせた新作だと考えた方がいい。それくらい印象の異なる作品になっている。同じ話を練り直して進化発展させていくことで、作品世界は深まり、同時にすっきりしたものになった。
迷路に迷い込んでくようなお話なのだが、それは彼が体験したことであると同時に、あの震災で、誰もが感じたことでもある。誰もが抱える傷みをそこに象徴させていく。消えてしまった青年を探す。知的障害者施設で彼が世話をしていた青年だ。この山の中に入って行方不明になった。あれから半年が過ぎている。もう死んでいるかも知れない。でも、探さずにはいられない。彼の出奔の責任は自分にある。彼の姉と付き合い、彼ら姉弟を抱え込んで生きていこうとしたこと。そんな傲慢さが生んだ悲劇なのかもしれない。彼がここで出会うのは過去現在未来の自分だ。
お話全体は震災以降、彼が見たもの感じたことを回想していくというスタイルを取る。初演とはお話の骨格もエピソードも同じなのだが、そこで展開する彼の内面のドラマはさらに先鋭化し、神楽のシーンも含めて深化している。起きてしまったことへの悔恨をベースにして、自分を見つめることで、震災だけではなく,人が生きていく上で何が必要なのかを問いかけてくる。ここにはそういう普遍性がある。お話を抽象化させることで、より鮮明に自分たちひとりひとりの問題として彼のドラマは伝わってくる。