どうしてこんなにもゆるい作り方をするのだろうか。しかもそれが見ていてあんまり心地よくない。ブラックユーモアというには、ちょっとゆるすぎて、こちらにまでは届かない。もちろん描きたいことは想像すれば充分わかる気もするけど、描かれていないものを勝手に解釈する気にもならないくらいのゆるさなのだ。何と受け止めても可、って感じ。
ラストで父(原田芳雄)と息子(オダギリジョー)が手に手をとって結婚式の行われている教会から飛び出して行く。唖然とする参列者を尻目にやってきたバスに飛び乗り、最後尾の席につくという、まるで『卒業』そのままやん、っていうエピソードって、どうよ? 彼らが女から逃げ出す気持ちは解らないでもないが、それを全肯定する気にはならない。それが出来るほど2人に感情移入は出来ないからだ。だいたい大竹しのぶの父の愛人とか、麻生久美子の息子の婚約者とか、それぞれどこかただが外れている。でも、それはラストのとんでもない展開を招き起こすほどではない。
このオフビートの会話劇は、つまらなくはないが、おもしろいとはとても言えない。僕にはこれは映画にするほどのものとは思えないのだが。どちらかというと芝居でやった方がこういうニュアンスは伝わりやすかったのではないか。なぜ岩松了は久々の劇場用映画にこれを選んだのだろうか。
普通に見える父と息子の関係性を、じっくり見つめ深めていくうちにどうしようもなく歪な愛情が見えてくる。それがラストのカタストロフィーに繋がっていくというこの作品の構造を生かすためには、もう少しそれとなくでいいからはっきりと伏線を張らなくてはならなかった。なのに岩松監督はそれをしない。まるでそっけなく描いていくので、そこまで深刻には受け止めず見ていくこととなる。その結果、後半は特にだれる。しかもラストについていけないまま、取り残される。
ラストで父(原田芳雄)と息子(オダギリジョー)が手に手をとって結婚式の行われている教会から飛び出して行く。唖然とする参列者を尻目にやってきたバスに飛び乗り、最後尾の席につくという、まるで『卒業』そのままやん、っていうエピソードって、どうよ? 彼らが女から逃げ出す気持ちは解らないでもないが、それを全肯定する気にはならない。それが出来るほど2人に感情移入は出来ないからだ。だいたい大竹しのぶの父の愛人とか、麻生久美子の息子の婚約者とか、それぞれどこかただが外れている。でも、それはラストのとんでもない展開を招き起こすほどではない。
このオフビートの会話劇は、つまらなくはないが、おもしろいとはとても言えない。僕にはこれは映画にするほどのものとは思えないのだが。どちらかというと芝居でやった方がこういうニュアンスは伝わりやすかったのではないか。なぜ岩松了は久々の劇場用映画にこれを選んだのだろうか。
普通に見える父と息子の関係性を、じっくり見つめ深めていくうちにどうしようもなく歪な愛情が見えてくる。それがラストのカタストロフィーに繋がっていくというこの作品の構造を生かすためには、もう少しそれとなくでいいからはっきりと伏線を張らなくてはならなかった。なのに岩松監督はそれをしない。まるでそっけなく描いていくので、そこまで深刻には受け止めず見ていくこととなる。その結果、後半は特にだれる。しかもラストについていけないまま、取り残される。