習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『第9地区』

2010-05-16 20:07:57 | 映画
 この春一番見たかった映画だ。ほんとうなら公開前に見に行くはずだったのだが、試写の日に他の幼児は入り行けなかった。4月10日の公開後すぐに行こうと思ったのだが、なかなか予定が合わず、結局ギリギリになってしまった。なんとか間に合ってよかった。

 予告編は衝撃的だった。なんと斬新なアイデアなのか、と感心した。期待が大きすぎたらきっとがっかりも大きいというのがいつものパターンなのだが、今回もまた、その轍を踏む。

 ほんとにアイデアはとても面白いし、前半はかなりドキドキした。ドキュメンタリータッチでぐいぐい押してくるのもいい、と思った。だが、後半から結末部分があまりに単純なアクション映画になり過ぎてがっかりだ。発想のおもしろさを生かしきるだけのスタミナがない。若い作家(新人のニール・プロムカンプ)の思いつきだけでは1本の独立した映画にはならないということだ。ラストなんか、まるで『ET』ではないか。

 後半エイリアンと人間によるバディームービーなっていくところから、ちょっとなぁ、と思ったが、結局は安易な展開に流されていくだけで、作品世界を広げられないまま、終わっていく。これではただのB級映画ではないか。せっかくの斬新な設定が、終わってみればこんな収束では惜しすぎる。

 人間とエイリアンとの共存、共生というストーリーから生じる様々な問題をもっと丁寧にフォローしなくてはつまらない。ヨハネスブルク上空のUHOから、彼らを収容する。それが第9地区である。この設定は抜群におもしろい。人間立ち入り禁止のこの地区がスラム化し、治安が悪いので、彼らを移住させようとする。だが、この醜悪なエイリアン(エビと呼ばれる)が生存権を主張し、南アフリカ政府はそれを認めざる得ないというのが現状だ。だが、治安の悪化を盾にして、彼らを今以上のゲットーへと強制移住させようとする。そのなんとも言えない人間の自分勝手さ。それがどういう結末を招いていくのか。

 映画は、エイリアンの権利を守れ、という人権団体の自己欺瞞まで含めてきちんとフォローしてくれたなら、絶対に面白い映画になったはずなのだ。なのに、単純な友情ものになるのはどうか、と思う。3年後、彼らが戻ってくるのか、その間、主人公はエイリアンと人間の〈あいのこ》として生きていくというサバイバルがエピローグとして示されるが、その辺も含めてこの1本の映画の中にきちんと収めるべきだった。安易なパート2はいらないから、1本の中に必要なちゃんとした情報量を全部詰め込んで欲しかった。なのに、おもしろくなりそうな枝葉をすっくりカットして、単純アクションで終わらせるのは納得いかない。




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