木村大作の第2作である。今回はホームドラマだ。スケールの大きな作品だった前作『劔岳 点の記』とは違って、とても小さなささやかなお話である。だが、これを見ながら、一歩一歩自分の足で生きていくって素敵なことだ、と素直に信じることができる。それだけで、この映画は成功している。
いまどきの映画ではない。まるで何十年も前の映画を見ている気分にさせられる。だいたい檀ふみなんて、映画で見るのはいつ以来だろうか。彼女をキャスティングした時点でこの映画の方向性は明確になった。普遍性を描く。変に媚びない。堂々とした映画だ。オーソドックスの極み。それでいい。
山小屋の話である。父親が事故で死んでしまい、その後を継ぐ決意をした青年が主人公だ。松山ケンイチが演じる。東京でディーラーとして毎日億単位のお金を動かす仕事をしている。だが、そんな生活に疲れていた。山の生活に逃げるのではなく、生きている実感のないリアルではない毎日からは得られないものを、山小屋で感じた。そこにあるリアルを信じて見ようと思った。バカバカしい話だ。東京での豊かな生活を棄てて、お金になんかならない仕事に就く。だが、厳しい自然の中で、山小屋を訪れる人たちとの交流を通して、彼は自分を取り戻していく。
あまりに単純なお話で、ここにリアルを感じられない人もいるはずだ。こんな薄っぺらな話では、映画として成立しない、と思う人もいるだろう。だが、木村大作が捉えた圧倒的なスケールの自然を前にすると、そんなことどうでもよくなる。これ以上のリアルはない。理屈ではなく、生きている実感がここにはある。それだけで、この映画は成立する。小手先の映画にはできないことがここにはできている。だから、こんな単純なお話なのに、圧倒されるのだ。
いまどきの映画ではない。まるで何十年も前の映画を見ている気分にさせられる。だいたい檀ふみなんて、映画で見るのはいつ以来だろうか。彼女をキャスティングした時点でこの映画の方向性は明確になった。普遍性を描く。変に媚びない。堂々とした映画だ。オーソドックスの極み。それでいい。
山小屋の話である。父親が事故で死んでしまい、その後を継ぐ決意をした青年が主人公だ。松山ケンイチが演じる。東京でディーラーとして毎日億単位のお金を動かす仕事をしている。だが、そんな生活に疲れていた。山の生活に逃げるのではなく、生きている実感のないリアルではない毎日からは得られないものを、山小屋で感じた。そこにあるリアルを信じて見ようと思った。バカバカしい話だ。東京での豊かな生活を棄てて、お金になんかならない仕事に就く。だが、厳しい自然の中で、山小屋を訪れる人たちとの交流を通して、彼は自分を取り戻していく。
あまりに単純なお話で、ここにリアルを感じられない人もいるはずだ。こんな薄っぺらな話では、映画として成立しない、と思う人もいるだろう。だが、木村大作が捉えた圧倒的なスケールの自然を前にすると、そんなことどうでもよくなる。これ以上のリアルはない。理屈ではなく、生きている実感がここにはある。それだけで、この映画は成立する。小手先の映画にはできないことがここにはできている。だから、こんな単純なお話なのに、圧倒されるのだ。