習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

虚空旅団『誰故草』

2014-07-15 22:06:20 | 演劇
 高橋さんが描く近未来の世界は、5人組の時代のような管理社会で、確かに5人組になった女たちがルームシェアする狭いマンション。そのリビングを舞台にして、彼女たちの「ある日」が描かれる。大上段からテーマを振りかざすことはない。だが、そこにある静かな痛みや、怒り、憤りが、噴出する。

 世界はどうなっていくのかという不安もある。それはSF的なドラマとしてのそれではなく、僕たちが生きる今と陸続きのほんの少し先の未来だ。そこで日常の断片としてこのお話は綴られていく。子供が産めない女たち。それは単純な理由からではなく、さまざまな要因から、起因している。事故による汚染。男たちが少なくなったことや、生活の貧困、婚姻スタイルの変化。政府の政策。描かれる社会状況の断片から想像するしかない。明確にこの世界は描かれない。だが、彼女たちの姿を見ていると、見えてくるものだけを手掛かりにして、推察するだけでいい。必要なことは、十分にそこにある。

 希望がない。子供を産んで育てること。その意味が改めて問われる。彼女たちが子供を手にすることはもうかなわない。この先どうして、何をよりどころにして生きていくのか。仕事は単純労働で、そこに生きがいなんかない。では、プライベートは充実しているのか、と言われると、そうだ、とは言えないのが現状だ。安定した暮らしはある。5人の家族はみんな仲がいいし、問題はない。だが、そこには夢がない。子供が夢になるか。それすら微妙なのに、もう彼女たちは共有する子供を手にする可能性がほぼない。

 そんな彼女たちのもとに、ひとりの女が訪れる。メンバーのひとりの妹だ。ただ、姉のもとを訪ねてきたのではないことは、やがて明白になる。彼女はここ(彼女たちの生きる世界)から出て行こうとしている。それがどういうことなのか。わからない。でも、困難なことであることは確かだ。今ある現状からどこに向かって逃げ出すのか。そこに希望はあるのか。(たぶん、ない)悲惨な末路をたどろうとも、出ていかなくてはならない。

 

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