キム・ギドク作品は癖があるから好き嫌いはあるだろうが、それでも、僕はいつもその衝撃的な内容も含めて受け入れることができた。というか、とても(不快感も含め)好きだった。あの『悪い男』を見た時の腹立たしさ。あんなえげつない話なのに、感動させられたのだから、どんな話であろうとも、彼なら納得させる傑作にできるはずだ、と信じた。しかし、今回ダメだ。こればかりは納得しない。どうしてこんなものを作ったのか、まるで理解できない。
いつもながらのとんでもなさだ。全編ことばがない、という構成も、否定しない。だが、なんだか無理しているのは否めない。自然にことばがないのなら、いいのだが、こんな不自然さは納得しない。だが、問題はそこではない。そんな瑣末なことではなく、本質的な部分でこれにはついていけない。そこが大問題なのだ。
あの母親の行動は常軌を逸している。そして、そのあとの息子のショックと、その行動もわからない。それより何より、あの父親。あれは、何だったのか。わけがわからない。さらには、その父親の愛人。彼女もまた、わけのわからない女だ。4人が4人とも、こういう状態では映画として成り立たないのは理解できるであろう。もちろん、彼らだけではない。周囲の人物みんながその行動を含めてすべて、理解のほかの行動を取る。異常だ。ばかばかしいと途中で見るのをやめてもよかったのだが、キム・ギドクである、それなりの緊張感はある。さらには、もしかしたら、最後まで見たなら納得させられるのか、とか、いらぬ期待をした。83分と上映時間も短いし。
だが、まるで、意味のない映画はそのまま、不愉快の極みで終わる。エログロを目指したのなら、それはそれで割りきれる。それに、そんなのは見ないし。だが、そうじゃない。夫の浮気に腹を立て、彼の性器を切り取ろうとするが、失敗し腹いせに息子の性器を切り取る。もう、この地点で何をかいわんや、であろう。性器を失った息子のために父親は自分の性器を切り取り、手術で息子のそこに蘇生させる。(そんなバカなことが可能なのか?)なんじゃ、これ、の世界だ。こういうストーリーでも、もしかしたら、と思った僕がバカだった。
この荒唐無稽な家族劇をどう作るのか。先日見た彼の製作、脚本作品『レッド・ファミリー』も危うい話だったが、なんとか納得のいく映画に仕上がっていたけど、今回ばかりは無理だ。へんにリアルな描写も空回りしている。もうキム・ギドクは終わったのか、と思わせるくらいに無残だった。