1時間ほどの小さなお芝居だ。だが、このスケールはこの内容と見事に合う。適正な尺が芝居には必要だ。もちろん芝居だけではない。表現ならば、必ずそうであろう。間尺に合わない作品を見せられた時の居心地の悪さは何度も体験したことがある。ギリギリで成立している作品の心地よさがこの芝居にはある。
船戸香里によるひとり芝居。一切セリフはない。無言劇だ。彼女が仕事を終えてひとり暮らしのマンションに帰ってきて眠りにつくまでの時間が綴られていく。
ひとりの部屋だから一切言葉を発しなくても不思議ではない。しかし、それって寂しいことだ。芝居の中で(というか、家に帰った後)彼女は表情ひとつ変えることはない。このひとりの部屋で、能面のように、いつものことを淡々とこなしていくだけだ。
彼女は極度の潔癖症だ。コートを脱ぎ、上着も脱いでいく。手を洗う。うがいをする。タンスに着ていたものを直す。いつもの日課をいつもの順に行う。トイレに入ると、きちんとトイレット・ペーパーをハサミで切りそろえる。もちろん便座はしっかり除菌する。使用後には隅々まで掃除もする。食事の用意をする。そして静かに食べる。片付ける。
ひとつひとつの行動には彼女なりの順番がある。それをほんの少したりとも変えることは叶わない。家に帰ってきたのにずっと姿勢を正し、自分のすべきことを、きとんと執り行っていく。見ていて痛々しい。感情は一切表に表わされることもなく、衝撃のラストを迎える。
一度はベットに入った彼女が起き出して来て、アルコールと共に、多量の睡眠薬を摂取する。ラストシーンで、彼女がほんの少し羽ばたいて、舞い上がっていく。このイメージシーンはこの作品唯一の救いのようにも見える。
この痛ましい物語を通して田中さんが伝えたかったものは、タイトルにもあるある種の「希望」なのだろう。声高に何かを語りかけることもない。それどころか何ひとつ語らないようにも見えるこの作品は、決して無口な作品ではない。
船戸香里によるひとり芝居。一切セリフはない。無言劇だ。彼女が仕事を終えてひとり暮らしのマンションに帰ってきて眠りにつくまでの時間が綴られていく。
ひとりの部屋だから一切言葉を発しなくても不思議ではない。しかし、それって寂しいことだ。芝居の中で(というか、家に帰った後)彼女は表情ひとつ変えることはない。このひとりの部屋で、能面のように、いつものことを淡々とこなしていくだけだ。
彼女は極度の潔癖症だ。コートを脱ぎ、上着も脱いでいく。手を洗う。うがいをする。タンスに着ていたものを直す。いつもの日課をいつもの順に行う。トイレに入ると、きちんとトイレット・ペーパーをハサミで切りそろえる。もちろん便座はしっかり除菌する。使用後には隅々まで掃除もする。食事の用意をする。そして静かに食べる。片付ける。
ひとつひとつの行動には彼女なりの順番がある。それをほんの少したりとも変えることは叶わない。家に帰ってきたのにずっと姿勢を正し、自分のすべきことを、きとんと執り行っていく。見ていて痛々しい。感情は一切表に表わされることもなく、衝撃のラストを迎える。
一度はベットに入った彼女が起き出して来て、アルコールと共に、多量の睡眠薬を摂取する。ラストシーンで、彼女がほんの少し羽ばたいて、舞い上がっていく。このイメージシーンはこの作品唯一の救いのようにも見える。
この痛ましい物語を通して田中さんが伝えたかったものは、タイトルにもあるある種の「希望」なのだろう。声高に何かを語りかけることもない。それどころか何ひとつ語らないようにも見えるこの作品は、決して無口な作品ではない。