役所広司第1回監督作品。第1線の役者が、自ら監督主演する映画を見るのって、なんだかちょっとドキドキする。下手なものは作れないというプレッシャーを圧してまでも、作りたいという気持ちが勝る。ただの余技の一環なんかには当然出来ない。だって今までたくさんのすばらしい作品を作ってきた。凄い映画に出演し、凄い監督を見てきたのだ。それでも、自分が作りたい、と思う。その熱意の先にあるものと出会いたい。彼が今、自分を主役に据えて、何を作るのか。興味津々だった。
さて、出来上がった映画だが、これは一風変わった作品になった。とりあえずはファンタジーである。だが、どこまで見ても、何を描こうとするのかが、明確にはならない。下手だから、というわけではない。といって、上手いというわけでも毛頭ない。よくわからないのだ。だが、そこが魅力のようでもある。なんとも不思議な映画だ。
息子の突然の死を通して、彼が何かを学んでいくことになる、というのがポイントだろう。それは一目瞭然なのだが、これは単純な感動ものではない。一癖もふた癖もある。
役所広司はやっぱり役者だなぁ、と思った。個性的な役者を集めてきて、彼らに自分らしい芝居をさせる。そのぶつかり合いの方が、ストーリーよりも前面に出る。すぐに死んでしまう瑛太演じる息子を象徴として、彼が幼稚園の頃からの幼なじみで、じゃがいもみたいな男、三郎を映画の中心に据える。映画は途中から、彼と役所演じる瑛太の父の2人によるロードムービーになる。さらには、瑛太の恋人である女子高生ひかりちゃんと、役所の話をサイド・ストーリーとして持ってくる。瑛太の死を知らないひかりは瑛太のケータイに出た役所を瑛太本人と間違えてしまう。(実際には2人の声は全然似てないのに)息子になりきった父を、素直に信じてしまう。死んだ息子の代わりに彼女と何度となく、どうでもいいような話をする。ほとんど2人の会話には意味がない。だが、この無意味が2人の絆をなす。
役所とこの2人との話をメーンにして、タイトルにある、ガマの油売り(益岡徹)の夫婦の話が挟まれる。これは幼い日の役所少年の心象風景ということが、やがてわかる。両親をなくした幼い少年の姿が、やがて、役所と重なることになる。三郎とひかり役に新人を起用し、ベテランである自分と対比する。映画は手垢のついてない素朴な両新人のおかげで、ドキュメンタリータッチにすら、見える。
普段は日本映画をあまり手がけない栗田豊通を撮影監督に迎え、わざと粒子の粗い映像を使って、役所広司は魂の根源への旅を見せる。この映画を見ながら、なぜだかよくわからないが唐突に崔洋一監督の『豚の報い』を思い出した。直接は関係ないが。
この作品は、よくある映画とは全く違って、とても個性的だ。不思議な魅力を湛えた映画だ。終盤の熊に追いかけられるシーンはすっとぼけたタッチで、古典的なスラプスチック・コメディーのノリだ。生きているものと、死んでいるものとが心を交わすことで、人は人の死を乗り越えて生きていけるというテーマが、ここまできてようやくだんだんと明確になってくる。
少年時代の役所が「金色の箱」と呼んだ「仏壇」の中で、みんなが踊るラスト・シーンはとても楽しい。同時に、なんだか胸が一杯にさせられる。全編を役所のわざとらしい笑い声がこだまする。これは怪作である。
さて、出来上がった映画だが、これは一風変わった作品になった。とりあえずはファンタジーである。だが、どこまで見ても、何を描こうとするのかが、明確にはならない。下手だから、というわけではない。といって、上手いというわけでも毛頭ない。よくわからないのだ。だが、そこが魅力のようでもある。なんとも不思議な映画だ。
息子の突然の死を通して、彼が何かを学んでいくことになる、というのがポイントだろう。それは一目瞭然なのだが、これは単純な感動ものではない。一癖もふた癖もある。
役所広司はやっぱり役者だなぁ、と思った。個性的な役者を集めてきて、彼らに自分らしい芝居をさせる。そのぶつかり合いの方が、ストーリーよりも前面に出る。すぐに死んでしまう瑛太演じる息子を象徴として、彼が幼稚園の頃からの幼なじみで、じゃがいもみたいな男、三郎を映画の中心に据える。映画は途中から、彼と役所演じる瑛太の父の2人によるロードムービーになる。さらには、瑛太の恋人である女子高生ひかりちゃんと、役所の話をサイド・ストーリーとして持ってくる。瑛太の死を知らないひかりは瑛太のケータイに出た役所を瑛太本人と間違えてしまう。(実際には2人の声は全然似てないのに)息子になりきった父を、素直に信じてしまう。死んだ息子の代わりに彼女と何度となく、どうでもいいような話をする。ほとんど2人の会話には意味がない。だが、この無意味が2人の絆をなす。
役所とこの2人との話をメーンにして、タイトルにある、ガマの油売り(益岡徹)の夫婦の話が挟まれる。これは幼い日の役所少年の心象風景ということが、やがてわかる。両親をなくした幼い少年の姿が、やがて、役所と重なることになる。三郎とひかり役に新人を起用し、ベテランである自分と対比する。映画は手垢のついてない素朴な両新人のおかげで、ドキュメンタリータッチにすら、見える。
普段は日本映画をあまり手がけない栗田豊通を撮影監督に迎え、わざと粒子の粗い映像を使って、役所広司は魂の根源への旅を見せる。この映画を見ながら、なぜだかよくわからないが唐突に崔洋一監督の『豚の報い』を思い出した。直接は関係ないが。
この作品は、よくある映画とは全く違って、とても個性的だ。不思議な魅力を湛えた映画だ。終盤の熊に追いかけられるシーンはすっとぼけたタッチで、古典的なスラプスチック・コメディーのノリだ。生きているものと、死んでいるものとが心を交わすことで、人は人の死を乗り越えて生きていけるというテーマが、ここまできてようやくだんだんと明確になってくる。
少年時代の役所が「金色の箱」と呼んだ「仏壇」の中で、みんなが踊るラスト・シーンはとても楽しい。同時に、なんだか胸が一杯にさせられる。全編を役所のわざとらしい笑い声がこだまする。これは怪作である。