こんな企画が通る時代がやってきたのだなぁ、と驚かされる。しかも、劇場は、当然の如く若い人はひとりもいない。ターゲットは50代から60代の夫婦か。でも、そんな客層で商売になるのか、と心配した。だが、案ずるよりもなんとやらである。それが、なんと、ちゃんと商売に「なる!」 みたいなのだ。高齢者用の映画のニーズはどんどん高まる。60歳以上は1000円だから、その年代の人がけっこう映画館に来るのだ。今の時代はそこを当て込んだ企画が成立する、ということなのだ。
それにしても凄まじいタイトルだ。まるで、映画のタイトルになってない。覚えられないし。昨年の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に続く電車の運転手の話なのだが、今回は電車の運転手でなくてもいい。定年を迎える男(三浦友和)と、その妻(余貴美子)の話なのだから、彼が電車の運転手であること自体はテーマではないからだ。定年、熟年離婚、老いた親の介護と死。その3点セットである。35年間電車の運転をしてきた。18歳で就職して42年間同じ職場で働いてきた。そんな男が、60歳になり定年を迎える。映画はその日の1カ月前から、当日までの出来事が描かれていく。
老後をどう過ごすのか、がテーマだ。だが、今の時代、まだ60歳は老後ではない。演じる友和も十分に若い。さらには妻である。彼女はまだ50代の後半なのだ。人生はこれからである。なのに、夫はまるで電車の運転にはもう未練もないし、定年後は、妻とのんびり過ごしたい。そんなふうに願う夫との間に亀裂が生じる。妻はこれを機にもう一度働きたい、と思う。看護師として、昔のように人の役に立ちたい、というのが彼女の願いだ。今まで夫を支え、家庭に入り、子どもを育て、子供が成長したら、夫の母親の介護をして、看取った。ずっと自分を殺して家族のため、夫のために生きてきた。だから、ようやくこの年になって自分らしく生きたいのだ。人生をリタイアしたいと願う夫とは相いれない。夫は、今まで苦労のかけ通しだった妻を労り、これからは一緒に共に生きる人生を過ごしたいと思っていた。なのに、働く、という妻の気持ちがわからない。
なんとも分かりやすい図式ではないか。だが、この映画はこんなパターンでしかないような話なのに、それがこんなにもリアルに胸に沁みる。それは、舞台となる富山の美しい風景と、そこで生きる人たちの正直な生き方がしっかりと描かれてあるからだ。ここには嘘がない。特に主人公の2人の演技がすばらしい。彼らの自然体が、この書き割りめいた映画に命を吹き込んだ。随所にはさみこまれる電車の走る姿もすばらしい。心洗われる作品である。
それにしても凄まじいタイトルだ。まるで、映画のタイトルになってない。覚えられないし。昨年の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に続く電車の運転手の話なのだが、今回は電車の運転手でなくてもいい。定年を迎える男(三浦友和)と、その妻(余貴美子)の話なのだから、彼が電車の運転手であること自体はテーマではないからだ。定年、熟年離婚、老いた親の介護と死。その3点セットである。35年間電車の運転をしてきた。18歳で就職して42年間同じ職場で働いてきた。そんな男が、60歳になり定年を迎える。映画はその日の1カ月前から、当日までの出来事が描かれていく。
老後をどう過ごすのか、がテーマだ。だが、今の時代、まだ60歳は老後ではない。演じる友和も十分に若い。さらには妻である。彼女はまだ50代の後半なのだ。人生はこれからである。なのに、夫はまるで電車の運転にはもう未練もないし、定年後は、妻とのんびり過ごしたい。そんなふうに願う夫との間に亀裂が生じる。妻はこれを機にもう一度働きたい、と思う。看護師として、昔のように人の役に立ちたい、というのが彼女の願いだ。今まで夫を支え、家庭に入り、子どもを育て、子供が成長したら、夫の母親の介護をして、看取った。ずっと自分を殺して家族のため、夫のために生きてきた。だから、ようやくこの年になって自分らしく生きたいのだ。人生をリタイアしたいと願う夫とは相いれない。夫は、今まで苦労のかけ通しだった妻を労り、これからは一緒に共に生きる人生を過ごしたいと思っていた。なのに、働く、という妻の気持ちがわからない。
なんとも分かりやすい図式ではないか。だが、この映画はこんなパターンでしかないような話なのに、それがこんなにもリアルに胸に沁みる。それは、舞台となる富山の美しい風景と、そこで生きる人たちの正直な生き方がしっかりと描かれてあるからだ。ここには嘘がない。特に主人公の2人の演技がすばらしい。彼らの自然体が、この書き割りめいた映画に命を吹き込んだ。随所にはさみこまれる電車の走る姿もすばらしい。心洗われる作品である。