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映画・演劇のレビュー

四方田犬彦『怪奇映画天国アジア』

2009-09-23 20:01:53 | その他
 インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール等々、これら東南アジア諸国で作られた怪奇映画の数々。四方田犬彦が、これらの国にはなぜこの手の映画が多いのかに興味を抱き、その謎を解き明かす渾身の一作。一種のゲテモノ映画でしかないはずのものに光を当て、そこからこれらの国の人たちのメンタリティーに迫る。本書は、彼らが支持したホラー映画の根底にあるものを掘り起こしていく貴重な記録だ。そして、それはなぜか感動的ですらある。

 アメリカのホラーや、日本のホラーとの関連性や、差異も示しながら、何がこれらの国の人たちを魅了したのかが描かれていく。さらには四方田さんがそれを調べる姿を通して、彼が実に丹念に「どうでもいいような映画」を、バカ丁寧に解説し、記録していく崇高な姿に、僕も魅了されていく。読みながら、ここまで詳しくこんな映画のストーリーを聞かされても、と困惑する。時々ついつい飛ばし読みしてしまう。つまらないというのではないが、細かすぎてこんなことで貴重な時間を使いたくないと思うからだ。読者にそんな思いまでさせるなんて、なんか凄いではないか。マニアックというのとはちょっと違う。変質狂的で、それが使命感のようでもあり、なんか怖い。

 びっくりするほどつまらなさそうな映画なのだ。なのにそれをまるで宝物のように取り扱い、説明する。そんなつまらなさそうな怪奇映画がその国で爆発的なヒットを記録する。それは庶民の意識のレベルが低いからだ、なんて言わさない。そうではない。彼らが求めたものは彼らが生きていく上で必要なものがそこには隠されていたからだ。四方田さんはそこに注目する。そういう意味では、これは映画史の本ではない。弱者が生きていくために何を求めたか、これら娯楽映画としての怪奇映画は、そこで生きる人たちの精神史でもある。四方田さんがアジアを旅して、そこで暮らす様々な人々に触れていく中で感じたものがこの論考の根底にある。怪奇映画という視点から東南アジアの今が見えてくる。これは優れた民俗学的な記録である。

 それにしても、この本の彼は、何かにとりつかれたような感じだ。まるでこの本に出てくる悪霊たちの仕業か、なんて思わされる。どうでもいいことだが、この本を読みながら、80年代後半に国際交流基金が東アジア映画祭を巡業で上映したことを思い出した。あのときのショックは今でも忘れられない。それまで見てきた映画とはまるで違う映画に触れ、しかもその数々がそれまで見てきたどこの国の映画よりも、凄いと思った。ヨーロッパやアメリカ映画、そしてもちろん日本映画がすべてだと思っていた当時の僕を震撼させた。それまで見たこともない国でこんなにも凄い映画が量産されている。改めて世界は広いと実感した。あの後、国際交流基金はフィリピン映画祭、タイ映画祭、マレーシア映画祭、さらにはアフリカ映画祭と、たくさんの国別の映画祭を実現し、その度に今は亡きキリンプラザに日参した。あの頃が懐かしい。

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