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映画・演劇のレビュー

一木けい『悪と無垢』

2023-01-04 10:22:51 | その他

新年早々こんな凄い小説を読んでいいのだろうか、と震えた。最初はなかなか面白い小説じゃん、と軽い気分で読み始めていた。いや、冒頭のたった2ページほどのよくわからないプロローグなんか軽く読み飛ばしていた。でも、じわじわ恐怖が背中から追いかけてくる。あの冒頭はなんだったのか、と。そして、さりげなく登場する善意の人、英利子という不気味な女性の影。1話目を読んで2話を読み始めたときにはこれは短編集なのだな、と思った。お話は1話できちんと完結していると思ったからだ。だが、しばらくしてそうじゃないと気付く。だからそこからはこれは短編連作なのだと思った。英利子は再び登場して、さらに重要なポジションを担うからだ。だが、果たしてそんな単純なものか、と思い始める。

そこで帯にある文章を読む。「新人作家、汐田聖が目にした不倫妻の独白ブログ」という書き出しが気になる。ここまで読んでいて(100ページほど、だったと多分思うけど)その主人公であるはずの聖という作家がまだ出てきていないことに気づく。なんだか不安になる。さらには英利子の娘聖が2歳で死んでいるという表記がどこかにさりげなく書かれてあった。聖というのは男性だと勝手に思い込んでいたけど、女性という可能性も十分ある。だんだんいろんなことが不安になってくる。お話が細切れで、あまり気にせずここまで読み流してきたけど、これは明らかに長編小説だと気づく。いろんなことが、あまりに気づくのが遅いのは、僕がいい加減に読んできたからなのだが、情報の発信がさりげないからでもあるだろう。曖昧な描写も多々ある。作者はわざとそうしている。いろんなことを隠しているのだ。それは小説家のテクニックゆえ、ではない。もっと根源的なことだ。この小説自体を巻き込む何か。悪夢のようなその現実がこの小説の中で描かれていく。これは小説なのだからフィクションなのはわかりきっているけど、ここに描かれる恐怖は現実。少なくとも英利子とかかわった人たちにとっては。(そして読者である僕にとっても?)

聖はようやく終盤に登場する。死んではいなかった英利子の娘だった。彼女が小説を書く。彼女の書いた短編小説がこの作品の冒頭の1篇だ。入子型のメタフィクションというスタイルを踏む。だが、明確ではない。そんな気がするというレベルで理解するしかない。汐田聖は明らかに一木けいではない。だが、聖は登場人物ではなくまるで他者のようにこの小説に位置づけられる。一番の当事者なのに、一番遠いところにいる。

最初からもう一度ゆっくりと読めば辻褄が合うのだろうけど、敢えてそうはしたくない。そのまま読み進める。納得したいわけではないからだ。この小説は聖の担当編集者が言うように細部の辻褄が合わない。それぞれのエピソードは不気味なまま、提示される。5つの短編集というふうに読んでも十分成り立つけど、あきらかにラスト2編はつながっているし、全体の構成もそうだ。途中からあのプロローグはあきらかに英利子の死体だとわかる。

ただあまりに複雑に絡み合うから、どれがどことつながっていたのか、よくわからない。誰と誰がどこで交錯し、誰が本当を言っているのか、噓をついていたのかも、よくわからない。ただ明らかなのは、どれほど真摯で本当のように見える言動をしていても、英利子だけは絶対の悪だということ。そこは揺るぎない。絶対の悪である彼女の存在。その意味するものはまるで見えないまま、ただただモンスターなのだと思うしかない。こんなモンスターがどうして生まれたのか。彼女はいったい何を考え、何のためにこんなことをするのか、すべては闇の中だ。彼女は空虚な瞳で笑っている。だがそこには悪意なんかさらさらない。彼女は自然体で生きている。誰かを恨んでいるわけではない。ただそのまま悪なのだ。無垢な悪。

2話(『馬鹿馬鹿しい安寧』)の主人公、安江と若菜(ヤスエとワカナと表記される)の所在を突き止める聖を描く5話はそこでこのお話に決着をつけるわけではなく、この作品全体の核心を描くわけでもない。英利子の中学時代を描く4話(『カゲトモ』)もそうだ。お話の核心に迫るにも関わらず、小説はさらなる混迷を極める。ここで大事な役目を担う秋尾だって、読んでいて彼女はもしかしたら男性なのか、と思わせる記述もある。(確かどこかで「彼」という表記があった気が)夥しい数の主要人物が登場し、でも英利子はそのお話の中心にはいない。だが、常に周辺にいる。そして「彼ら」(この小説の主人公たち)を見ている。聖だけではない。誰も、誰一人として彼女から逃れられない。「理解不能」という簡単なことばで彼女の存在を括ることは意味をなさない。どうしてこんなモンスターが生まれたか。しかも、彼女はいつだって悪気はないし、みんなに対して表面的には協力的だ。だから、最初はみんな彼女を悪い人だとは思わない。いや、最後まで悪い人だと思わない人だっている。無邪気に善意の人だと信じたまま、だなんていうことだってあり得る。「優雅で美しく、親しみのある完璧な淑女」と帯には書かれてあったが、確かにそういうふうに見える。


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