『恋するからだ』に続いてこの小説を読んだ。同じように親の影響で上手く生きれない女の子が主人公だったので、偶然なのか、それともこういうのが、最近のはやりなのか?まぁ、それはともかく、どちらもとても読みやすいが、小説としてはこちらのほうが断然読んでいてしっくりくる。
12歳の女の子、朔が主人公。父親と二人暮らし。母は舞踏家の父に愛想を尽かし出て行った。大人に混じって小さな頃から父と一緒にダンスやら、芝居やらを見ていて(公演の後の打ち上げとか、いつも小劇場の芝居を見ていて、なじみの風景が描かれているが面白い)一人前の口を利くが、小学校では、うまく友だちと付き合えない。孤立する。友だちは鹿山さんだけ。彼女も教室では、自己主張が強く孤立している。納得いかないことには断固攻撃的で、周囲に溶け込む気もない。朔は彼女にだけ心を開く。
淡々と話が進む。終盤で、事件が起こる。朔が、父の舞踏のフライヤーを作っている30代の男にいたずらされるのだ。朔は彼のことを好ましいと思っていたし、彼を信用していたのに。
大人も子供も、もう誰も信じられなくなる。朔は、自分が子どもであることの痛みを、自分にしか出来ない形で、収拾していこうとする。読んでいて、痛ましかった。
小説自体はとてもあっさりした文体で描かれる。「です、ます調」が、出来事との距離をうまく表現する。子供を子供として描くのではなく、だからといって大人と対等に描いても意味がないから、そんなこともしない。この微妙な距離感が、この小説のリズムを形作る。誰でもない等身大の少女がしっかり描かれる。だから彼女の決断も子どもっぽいとは思わない。精一杯の結論は、今の自分にできる最大限の方法だ。この小説のよさは、朔という少女を紋切り型にはしないし、個性的にも描かないところにある。どこにでもいる、誰でもないひとりの少女として描いてあるのが素晴らしい。
12歳の女の子、朔が主人公。父親と二人暮らし。母は舞踏家の父に愛想を尽かし出て行った。大人に混じって小さな頃から父と一緒にダンスやら、芝居やらを見ていて(公演の後の打ち上げとか、いつも小劇場の芝居を見ていて、なじみの風景が描かれているが面白い)一人前の口を利くが、小学校では、うまく友だちと付き合えない。孤立する。友だちは鹿山さんだけ。彼女も教室では、自己主張が強く孤立している。納得いかないことには断固攻撃的で、周囲に溶け込む気もない。朔は彼女にだけ心を開く。
淡々と話が進む。終盤で、事件が起こる。朔が、父の舞踏のフライヤーを作っている30代の男にいたずらされるのだ。朔は彼のことを好ましいと思っていたし、彼を信用していたのに。
大人も子供も、もう誰も信じられなくなる。朔は、自分が子どもであることの痛みを、自分にしか出来ない形で、収拾していこうとする。読んでいて、痛ましかった。
小説自体はとてもあっさりした文体で描かれる。「です、ます調」が、出来事との距離をうまく表現する。子供を子供として描くのではなく、だからといって大人と対等に描いても意味がないから、そんなこともしない。この微妙な距離感が、この小説のリズムを形作る。誰でもない等身大の少女がしっかり描かれる。だから彼女の決断も子どもっぽいとは思わない。精一杯の結論は、今の自分にできる最大限の方法だ。この小説のよさは、朔という少女を紋切り型にはしないし、個性的にも描かないところにある。どこにでもいる、誰でもないひとりの少女として描いてあるのが素晴らしい。