2021年カンヌ映画祭で『チタン』の次点(パルムドールではなくグランプリ)に屈したイランの巨匠アスガー・ファルハディ監督作品。さすがにあの『チタン』と並べたら、衝撃度は低い。でも、別の意味でこれがファルハディ映画なのか、というような軽妙な展開だ。SNSを題材にしたというのも彼の映画らしくはない(と、勝手な思い込みをする)。今まで重厚な作品で僕たちを魅了してきた彼が、相変わらずの社会派ではあるけれど、今回はいささか趣が違う作品を提示した。ある受刑者の悲劇ではなく、SNSに振り回される人々の騒動が描かれていく。
彼らしくないというのは、この主人公の設定の問題だろう。借金を返済できず、刑務所に入れられている男が主人公だ。数日の休暇で(刑務所なのに、イランでは服役中の囚人にそんな休暇が貰えるのか!)で、帰郷してくるところから始まる。この男は愚かすぎる。バカすぎる。悪い奴ではないのだろうけど、周囲に振り回され、自分の意志を持てない。だから、つまらないミスから立ち直れなくなる。でも、これは自業自得なのかもしれない。ファルハディの今までの映画で描かれたようなどうしようもない現実ではなく、この主人公は場合はやりようによってはなんとかなったはずの事態を自分でつぶしている。大金を拾ったことでの対応はともかく、正直にお金を返す時、落とした女性を信じて彼女の連絡先も知らないまま、渡してしまうなんて間抜けにもほどがある。ふつうならもっと慎重な対応をするだろう。映画はその女性がいなくなることで、お話が急展開するのだが、彼女は彼をだましたのかどうかは最後まで明らかにされない。ファルハディにとっては、そこはどちらでもいいことなのだろう。
SNSで正直者として、絶賛され、次には貶められ(借金の相手である元妻の父親に暴力を振るってしまったところをネットで公開される)、最後には、息子をさらし者にされ怒り、また暴力に及ぶ。やることなすこと間抜けすぎる。そんなお調子者を主人公にしたため映画はいつも通りのファルハディなのに、突っ込みどころ満載で、(本人は意識していないだろうけども)いくぶん軽いタッチの映画に仕上がったのだ。正直言うとこれは少し残念な仕上がりだ。