習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『麻希のいる世界』

2022-03-31 12:19:41 | 映画

塩田明彦監督が初心に帰って挑む最新作。前作『さよならくちびる』の流れを汲む作品なのだが、ここに描かれるものは明らかにデビュー作『月光の囁き』の悪意を思わせるものだ。この全く取り付く島すら与えない映画は、わからないならそれでいい、と観客を拒絶している。自分が思うことを、もしかしたら自分自身ですらわからないまま、提示していく。そこから何がが見えてくるかもしれないという一縷の期待だけで映画は突き進む。だが、終盤、再び突き放される。そんな簡単なものではないから、と。どうすればいいのか、と呆然とする。

麻希との再会を果たした由希は、彼女が自分が麻希だったことも忘れて新しい人格として生きていることを知る。そこで由希が抱いた想いは、麻希からの解放を意味するのか、あるいは絶望なのか。あそこで終わるのか、という驚きと諦め、そして納得。塩田明彦はこんな共感を求めない映画を作りたかった。妥協なく変態的な想いを貫く。信じたいと思ったことのために邁進する。でも、そのきっかけがなんだったのか、それすら明示されないから戸惑うばかりだ。

由希は麻希という同級生に心惹かれる。彼女のフルネームは牧田麻希である。こんなふざけた名前を付ける親がいるか?と思う。マキマキになる。映画を見ながら、まずそこに驚いた。もしかしたら親が離婚して牧田性になったからこういうことになったのか、なんて考えながら映画を見始める。さらには、ふたりの名前の「由希・麻希」という類似も気になった。偶然ではなかろう。監督の意図するところはどこにあるのか。そこも気になる。

由希は麻希のストーカーになる。あからさまに追いかける。麻希は何の反応もしない。拒絶するでもなく、受け入れるわけでもない。由希は麻希の歌声に魅了され、ふたりでバンドを組む。でも、ふつうエレキギターとベースだけでは成り立たない。

ふたりはふたりでひとり、というような理屈付けをされたなら、なんとなく納得する。お互いが補完関係にあるとか。でも、そういう安易な展開はしない。わからないままで、お話はどんどん突き進む。見ていて不安になってくる。89分と短めの映画だから、そろそろ終わるのではないか、とそういうことまでが心配の種だ。

そして、終盤、事件が起こる。由希のことが好きで彼女からの愛を得るため暴走していた軽音部の祐介は麻希を殺そうとする。(彼が以前麻希と付き合っていた、とかいう設定はともかく、麻希の感電死を目論むとか、尋常ではない)

崩壊した家族というのがお話の根底にある。麻希の家族もそうだし、同じように崩壊した由希の家族のいびつな再生や、祐介も含めてそれを結果的に破壊する、という展開とか。たったふたりの世界の周りでさまざまなことが起こり、お話はとんでもない終末を迎える。何かを信じて生き延びようとする。でも、それすら不可能だ。破滅させても終わらない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇佐美まこと『月の光の届く... | トップ | 『桜のような僕の恋人』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。