深川栄洋監督の新作だ。劇場用映画ではなくネットフリックス映画である。2時間9分の長尺。同じくネットフリックスで先日見た(こちらは配信用ではなく劇場用映画)『10万分の1』と同じでこれも難病ものの純愛映画だけど、深川栄洋が作ったはずなのに、とんでもなく無残な出来だった。信じられない。
最近新作が途絶えていた深川栄洋久々の映画なのに、どうしてこんなことになったのだろうか。劇場用映画のデビュー作『狼少女』の時代からずっとリアルタイムで彼の映画はほぼ全作見ているけど、この手の映画でこんな杜撰な作品を彼が作るだなんて、あり得ない話だ。そういえば2年前の前作『ドクターデスの遺産』も悲惨な映画で目を覆いたくなるような出来栄えだった。あの手の一応ミステリーはあまり得意ではないのかもしれないけど、今回は得意のジャンルではなかったか? 難病ものは難しいと数日前に『10万分の1』の項で書いたばかりなので、さすがに深川栄洋でも手を焼いたか、なんて書いてもいいのだけど、いや、そんなのを書きたくはない。すでにこれまで数々の傑作をものにしてきた彼がこんないいかげんな作品を作るなんてありえない。どうしてこんなことになったのか、その事情を知りたい。
彼は代表作『神様のカルテ』2部作で命の問題を扱い、あれだけ真摯で感動的はドラマを作ることが出来たのだ。今回だって同じ。25歳になったばかりの美容師の女の子が、早老症になり、発病から半年ほどで死んでしまう。映画は春から始まり次の年の春を待つことなく亡くなる彼女の一瞬の恋愛を描く。彼女はお客さんであるある男性から告白され付き合う。でも、付き合い始めたばかりの夏、発病し、急激な老化を知られたくないから嘘をついて彼と別れる。映画はそんなふたりの短い付き合いを丁寧に描くべきだった。付き合いだして3か月で彼からプロポーズされて驚く。まだふたりはキスさえしていないのに。そんなにも彼が焦ったのは、二人の間に漂う不穏な何かに感づいたからなのか。その直後、ある日突然彼女は体が動かなくなり、入院し、医者から余命半年の宣告を受ける。しかも、半年で老人になり死ぬことになるのだ。それはこれからの未来を思い描いていた女の子にとって(というか、誰であろうとも)衝撃的なことだ。この信じられない現実と彼女がどう向き合ったか、その内面のドラマこそがこの映画の肝となるはずだった。
さて、恋人はそんな事実に気付くはずもない。花火大会の日に彼女からキスされる。さらに、彼の部屋を初めて訪れた日、彼女からセックスを求められる。そんな性急さに彼は戸惑う。当然だ。彼女は病気のことなんか話すわけはない。彼女にしかその理由はわからない。その後、彼女から一方的に破局を言い渡される。ここまでの展開が彼女の心に寄り添いしっかりと描かれなくてはこの映画は成功しない。何度も言うが『10万分の1』はそこをちゃんと描けたから納得のいく映画になった。それに反してこの映画はそこを流してしまって、セオリー通りの展開につないだから、まるで共感できない映画になったのだ。
しかも、老化した姿を特殊メイクで見せるのだが、そこだっていくらメイクを頑張ろうともリアルにはならなかったし。松本穂香はまるで見せ場を作られず、何のためにこの映画に出たのかわからない。終盤で彼の写真展を見に行くシーンや、雪の中で倒れた彼女を彼が助けるシーンとか、もう少し何とか出来なかったんだろうか。彼が年老いた彼女を見て気づかないという設定はいいのだけど、あの本来なら感動的なシーンがあまりにも嘘くさい。あの見せ場を演出できない以上この映画に意味はない。
ご都合主義の泣かせに終始して、だらだらと2時間以上の映画を見せるなんて、ありえない。かなり期待していただけにショックだ。