作り手の熱がしっかり伝わってくる作品だと思った。だが、あまりに荒削りで、前作を見た時にも思ったことだが、何をやっているのやらよくわからないようなパワーマイムもどきが、作品を稚拙なものにしている。ああいうものは洗練されなくては伝わらないし、意味すら成さない。なのに彼らはそれを勢いだけで見せていこうとする。その強引さが若さの特権だとは思わないが、仕方ないなぁ、と受け入れてしまえるのは、その一生懸命さが、そこからはちゃんと伝わるからだろう。やっぱり若いって得だ。
話自体はワンパターンの勧善懲悪で、連続ドラマのシリアルスタイルの活劇で、西部劇である。賞金首のアン・デット一味を倒して、病気の妹の治療費を稼ごうとするけなげな兄が主人公。3秒間でどんな敵も倒す凄腕ガンマン、ショットマン・レイとは彼のことだ。彼を助ける(というか、付きまとう、足手まとい)の少年、キッド、やアン・デッド一味だったが、寝返り2人と行動を共にするトンマの3人がアン・デッドを求めて旅する。
彼らに降りかかる事件の数々、危機また危機の連続。短いエピソードを串団子式に見せて行く。テンポはいいけど、お話自体は単調で、だから、途中で中だるみするし、少し退屈する。役者たちはみんな元気で、必死なのはわかるけど、余裕が全くない。2時間、見ていてこちらが先に息切れする。
しかし、これは確信犯なのだ。第1部の喧騒が嘘のように、一転して、第2部は、とても静かな芝居となる。第1部はこのお話の劇中劇でしかなかったことが、すぐに明らかになる。芝居は2部構成。2本の独立した作品であることを逆手にとっての大胆な劇作りがなされてある。
若くして死んだ友人の葬儀に参列するため、久しぶりに故郷を訪れる男ジンジンが主人公。第1部でアン・デッドを演じた岸本武享である。ということは、死んだ友人は、ショットマンレイを演じた森山亮佑か、と思わせるが、そうではない。死んだのはキッドを演じた鈴木光基であり、第1部のお話自体が、中学時代、彼、ヒカリの描いた漫画であることが、わかる。
お通夜に集まった中学時代の仲間たち。あの頃、ヒカリが描いていた漫画にみんなは夢中になっていた。教室でまわし読みした。派手なアクションだった第1部とは違い、淡々としたドラマとして、綴られていく。通夜の後、みんなで居酒屋に飲みに行く。そこで、語られる思い出の数々が、こちらは第1部と同じようににぎやかに再現されていく。
事故の概要は知らされない。あの頃、まだみんな子供だったけど、それぞれ夢を持っていた。それが今、大人になってどう変わったのか。幼い夢は夢だからこそ美しい、なんて言わない。現実はそう簡単ではないことなんて誰にだって想像がつく。
それにしてもエピローグとなる四十九日のエピソードがすばらしい。偶然、線香を上げるために行ったヒカリの家で再会したジンジンと、彼の元カノで、ヒカリが好きだった木佐。通夜の時の違和感を抱えたままその後の時間を過ごした彼らの中にあるもどかしい想いがしっかり伝わってくる。親友として、恋人として、彼ら2人は2人とも、死んでしまった彼に心残りがある。2人は、彼にとって親友ではなかったし、恋人でもなかった。だが、彼のことをとても大事に思っている。彼は自分の分身である。
誰にだって、やれなかったことはたくさんある。親友未満で、恋人未満。そんな中途半端なものが、子供時代にはたくさんある。そして、それは大人になっても同じだ。純粋だったから、正直になれなかった。心に秘めて表に出せない。作、演出の森山亮佑は、この2人に多くを語らせない。無口なままだ。そこがいい。
全体的にも、とても抑えた作りとなっている。第1部の元気いっぱいとは対照的だ。だが、そんなことも含めて、実はこれは、ありきたりで、単純な芝居である。だが、志半ばで死んでしまった友への想いと、今、一応大人になったにもかかわらず、あの頃の夢とは遠いところにいる自分たちの現実を交錯させながら、ひとりぼっちの僕たちの抱える不安がとてもよく描かれてあるから好感が持てる。それを、思い入れたっぷりに描くのではなく、あっさり90分で終わらせる。
死なない敵アン・デッドを倒す方法はない。だから、漫画のラストは作れない。作品の中で、取りあえず決着はつけたけど、現実の中では、答えは永遠にみつからない。それは「そのもどかしさ」を軸にして、その後の時間を生きる彼らの物語である。
おきまりのセンチメンタルなお話なのかもしれないが、それを2部構成3時間半の大作として、今の自分に出来ることのすべてをこの1作にこめた森山亮佑クンとその仲間たちによるこの作品は、見るものを勇気づける。それは、まだ若い今だからこそ出来る全力投球がここにはあるからだ。
話自体はワンパターンの勧善懲悪で、連続ドラマのシリアルスタイルの活劇で、西部劇である。賞金首のアン・デット一味を倒して、病気の妹の治療費を稼ごうとするけなげな兄が主人公。3秒間でどんな敵も倒す凄腕ガンマン、ショットマン・レイとは彼のことだ。彼を助ける(というか、付きまとう、足手まとい)の少年、キッド、やアン・デッド一味だったが、寝返り2人と行動を共にするトンマの3人がアン・デッドを求めて旅する。
彼らに降りかかる事件の数々、危機また危機の連続。短いエピソードを串団子式に見せて行く。テンポはいいけど、お話自体は単調で、だから、途中で中だるみするし、少し退屈する。役者たちはみんな元気で、必死なのはわかるけど、余裕が全くない。2時間、見ていてこちらが先に息切れする。
しかし、これは確信犯なのだ。第1部の喧騒が嘘のように、一転して、第2部は、とても静かな芝居となる。第1部はこのお話の劇中劇でしかなかったことが、すぐに明らかになる。芝居は2部構成。2本の独立した作品であることを逆手にとっての大胆な劇作りがなされてある。
若くして死んだ友人の葬儀に参列するため、久しぶりに故郷を訪れる男ジンジンが主人公。第1部でアン・デッドを演じた岸本武享である。ということは、死んだ友人は、ショットマンレイを演じた森山亮佑か、と思わせるが、そうではない。死んだのはキッドを演じた鈴木光基であり、第1部のお話自体が、中学時代、彼、ヒカリの描いた漫画であることが、わかる。
お通夜に集まった中学時代の仲間たち。あの頃、ヒカリが描いていた漫画にみんなは夢中になっていた。教室でまわし読みした。派手なアクションだった第1部とは違い、淡々としたドラマとして、綴られていく。通夜の後、みんなで居酒屋に飲みに行く。そこで、語られる思い出の数々が、こちらは第1部と同じようににぎやかに再現されていく。
事故の概要は知らされない。あの頃、まだみんな子供だったけど、それぞれ夢を持っていた。それが今、大人になってどう変わったのか。幼い夢は夢だからこそ美しい、なんて言わない。現実はそう簡単ではないことなんて誰にだって想像がつく。
それにしてもエピローグとなる四十九日のエピソードがすばらしい。偶然、線香を上げるために行ったヒカリの家で再会したジンジンと、彼の元カノで、ヒカリが好きだった木佐。通夜の時の違和感を抱えたままその後の時間を過ごした彼らの中にあるもどかしい想いがしっかり伝わってくる。親友として、恋人として、彼ら2人は2人とも、死んでしまった彼に心残りがある。2人は、彼にとって親友ではなかったし、恋人でもなかった。だが、彼のことをとても大事に思っている。彼は自分の分身である。
誰にだって、やれなかったことはたくさんある。親友未満で、恋人未満。そんな中途半端なものが、子供時代にはたくさんある。そして、それは大人になっても同じだ。純粋だったから、正直になれなかった。心に秘めて表に出せない。作、演出の森山亮佑は、この2人に多くを語らせない。無口なままだ。そこがいい。
全体的にも、とても抑えた作りとなっている。第1部の元気いっぱいとは対照的だ。だが、そんなことも含めて、実はこれは、ありきたりで、単純な芝居である。だが、志半ばで死んでしまった友への想いと、今、一応大人になったにもかかわらず、あの頃の夢とは遠いところにいる自分たちの現実を交錯させながら、ひとりぼっちの僕たちの抱える不安がとてもよく描かれてあるから好感が持てる。それを、思い入れたっぷりに描くのではなく、あっさり90分で終わらせる。
死なない敵アン・デッドを倒す方法はない。だから、漫画のラストは作れない。作品の中で、取りあえず決着はつけたけど、現実の中では、答えは永遠にみつからない。それは「そのもどかしさ」を軸にして、その後の時間を生きる彼らの物語である。
おきまりのセンチメンタルなお話なのかもしれないが、それを2部構成3時間半の大作として、今の自分に出来ることのすべてをこの1作にこめた森山亮佑クンとその仲間たちによるこの作品は、見るものを勇気づける。それは、まだ若い今だからこそ出来る全力投球がここにはあるからだ。