習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

覇王樹座『鵺の宿』

2007-12-20 22:19:04 | 演劇
 意味のない繰り返しが不気味に見えてきたならいいのだが、これではただの意味不明でしかない。方法が作品のスタイルとして定着していないから、ただの思い付きにしか見えないのである。しかも空間の作り方がユルユルなので、リアルとは程遠く、作品自体が本来孕み持つべき緊張感が全く生じない。そのため描かれている出来事を観客は「一体何事がここに生じているのか」と前のめりになって受け止めることが出来なくなる。本気になれない。

 芝居としての基本が全くなされてないので、せっかく考えたいくつもの仕掛けが意味をなさない、ということになるのだ。

 学生劇団の芝居を見るのはほんとうに久しぶりだ。しかもこんなふうに本気で芝居と取り組む真面目な集団の作品に出会えてとても嬉しい。それだけに苦言を呈したくなる。惜しい、と思うのだ。

 描きたいものは分からないでもないが、それにどれほどの意味があるのかが、これではいまいちよく分からない。70分程の芝居が結構長く感じられたのは、見せ方が下手だからだ。

 心に傷を抱えた人たち。彼らの心の中にある痛みが悪になり、鵺となる。それを探し出し回収するセールスマンという設定をもっと明確なものにし、このホテルに偶然集まってくる男女の内奥と向き合い、彼らの闇を拾い集める男の正体をしっかり描いて欲しかった。何かを売りにきたはずの男がなぜか回収ばかりすることも、納得させるだけの描写が欲しい。なぜ、このホテルなのかも、説明してもいい。説明することで作品世界が広がる部分はしっかりと見せるべきだし、説明しなくても充分解る部分はこんなにくどく描かなくていい。

 これがぬるいコメディーなんかならこういう見せ方では30分でも耐えられなかっただろうが、自分たちの描きたい世界を持っているから、ラストまでなんとか見ることができた。

 まず、「鵺」とは何なのか。そこから始めて欲しい。人の心の闇と向き合うことで何が見せたかったのか。この場に異形のものが潜むことになったのはなぜか。等々。この芝居が描くべき課題は山盛りある。そこを置き去りにして辻褄合わせに奔走するのでは意味がない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桃園会『追奏曲、砲撃』 | トップ | 『中国の植物学者の娘たち』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。