このなんだかハードボイルドを思わせるタイトルなのに、お話自体は男と女の不倫もの。出会い系サイトで知り合った主婦と引きこもり青年が逢瀬を繰り返すさまを追いかける。ふたりのお話を同時進行で見せていく。完全な相似形のお話。これが演劇作品を原作としているということがよくわかる図式だ。小劇場出身の三浦大輔監督は、演劇的シチュエーションを映画の世界に見事に転換していく。狭い世界のお話が、ちゃんと映画として成立するのが素晴らしい。今までも自身の芝居を映画化してきた実績がある。
先日の『娼年』だってそうだ。先に芝居がある。それを映画としてアレンジし直すが、演劇的要素を大事にして映画化している。それは世界の狭さだ。狭い世界を提示してピンポイントでドラマ化する。そこに生じるリアリティを大事にした。見たことのない世界がそこに広がる。それが映画としての広がりにもなる。
それって、とても面白い。今回も日常の裂け目を切り開いて見せる。今の生活に何の不満もない40代の主婦が、20代の若者と付き合う。特別きれいなわけでもなく、年相応の女。だから、自分に自信もない。そんなどこにでもいそうな女を寺島しのぶが見事に演じた。おどおどしていて、小心者。でも、この冒険に身を委ねる。そんな彼女を受け止めるのは、年上キラーの池松壮亮。ふたりのデートシーンがとてもいい。まるでうぶな男女のように、彼らが恋人同士になるまでの過程を丁寧に描いていく。でも、そこにはシニカルな視線もある。若い恋人たちの純愛にはほど遠い。
三浦監督はそんな彼らをもちろん受け入れるわけでも弁護するわけでもなく、冷徹に観察する。その醒めた目線がなぜか心地よい。彼らの生態を通して、人の営みとは何なのか、なんてことまで考えさせる。愚かな男女の、ある短い時間のドラマが、やがて時を経て、距離を経ての再会へて続く。ラストクレジットの後のエンディングもいい。裏切ることで得たもの。感じたこと。あれはなんだったのか、ということ。わかりやすい答えなんかない。だから、面白い。主人公のふたりだけでなく、まわりの誰もがなんだか、くだらない人間ばかりで、でも、こんなくだらなさは大なり小なり誰もが抱えるもので、そんなくだらない人間たちがそれを隠して、いい人のフリをして生きている。