ほんの少し残念な気分だ。悪い映画ではない。「デンマークが産んだ恐るべき才能」というキャッチフレーズも決して誇大広告とは思わない。しかし、この映画はつくり方が甘すぎる。
スザンネ・ビアの前作『しあわせな孤独』を見た時、これは強烈だ、と思った。しかし、今回この作品を見て、感じた違和感は実はあの作品にも少なからずあったものだと気付いた。ハリウッドがリメイクしたがる気持ちがよくわかる。この作品の甘さをもう少し、さらにゆるくするとフツウの分かりやすい映画(メロドラマ)として簡単にリメイクできるからである。
戦死したはずの夫が、心に傷を負って帰郷する。以前の優しかった夫とは別人のようになってしまった彼を受け入れ、なんとかしてもとの夫に戻ってもらおうとする妻の愛を描く。これ以上ないくらいにわかりやすい話である。さらには夫自身の痛みも、捕虜にされ、自分が生き残るため仲間を殴り殺したこと、それを誰にも話せなかったことにあり、話が実にわかりやすい。
この単純なストーリーをどれだけ緊張感のあるドラマとして提示できるかが、この作品の成否を決めることになる。
どうしようもない出来事をいかに乗り越えて生きていくか、は彼女の映画のテーマみたいで、前作とも共通している。交通事故の被害者と加害者の愛を描く前作同様、今回の作品のヒロインと義理の弟のプラトニックな愛は心を打つ。そこに帰ってきた夫が加わり3人のそれぞれの想いが交錯していく。設定は悪くない。
図式としては、3者3様の想いがよく描かれてあるが、もう一歩踏み込んでくれなくては、パターンの域を出ない。夫は妻と弟の関係を疑う。妻は寂しかったから優しくしてくれた義弟にキスをしたと告白する。その真実すら夫は信じきれずそれだけではないはずだと妻を疑う。それは自分が大事に思っていた仲間を極限下で殺してしまったという行為がベースになっている。自分の心すら信じられない。だから、誰ももう信じられない。主人公たちをもっと追い詰めて欲しい。このくらいで終わりにして欲しくない。
完全に壊れてしまった心をもう一度取り戻そうとするラストシーンは胸に沁みる。泣きながら本当のことを告白する。そんな彼を抱きしめる彼女の姿を見ながら、ほんとうのドラマはここから始まるのではないか、と思った。これで終わりではあまりにきれい事過ぎる。
スザンネ・ビアの前作『しあわせな孤独』を見た時、これは強烈だ、と思った。しかし、今回この作品を見て、感じた違和感は実はあの作品にも少なからずあったものだと気付いた。ハリウッドがリメイクしたがる気持ちがよくわかる。この作品の甘さをもう少し、さらにゆるくするとフツウの分かりやすい映画(メロドラマ)として簡単にリメイクできるからである。
戦死したはずの夫が、心に傷を負って帰郷する。以前の優しかった夫とは別人のようになってしまった彼を受け入れ、なんとかしてもとの夫に戻ってもらおうとする妻の愛を描く。これ以上ないくらいにわかりやすい話である。さらには夫自身の痛みも、捕虜にされ、自分が生き残るため仲間を殴り殺したこと、それを誰にも話せなかったことにあり、話が実にわかりやすい。
この単純なストーリーをどれだけ緊張感のあるドラマとして提示できるかが、この作品の成否を決めることになる。
どうしようもない出来事をいかに乗り越えて生きていくか、は彼女の映画のテーマみたいで、前作とも共通している。交通事故の被害者と加害者の愛を描く前作同様、今回の作品のヒロインと義理の弟のプラトニックな愛は心を打つ。そこに帰ってきた夫が加わり3人のそれぞれの想いが交錯していく。設定は悪くない。
図式としては、3者3様の想いがよく描かれてあるが、もう一歩踏み込んでくれなくては、パターンの域を出ない。夫は妻と弟の関係を疑う。妻は寂しかったから優しくしてくれた義弟にキスをしたと告白する。その真実すら夫は信じきれずそれだけではないはずだと妻を疑う。それは自分が大事に思っていた仲間を極限下で殺してしまったという行為がベースになっている。自分の心すら信じられない。だから、誰ももう信じられない。主人公たちをもっと追い詰めて欲しい。このくらいで終わりにして欲しくない。
完全に壊れてしまった心をもう一度取り戻そうとするラストシーンは胸に沁みる。泣きながら本当のことを告白する。そんな彼を抱きしめる彼女の姿を見ながら、ほんとうのドラマはここから始まるのではないか、と思った。これで終わりではあまりにきれい事過ぎる。