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映画・演劇のレビュー

沢木耕太郎『天路の旅人』

2023-01-07 10:30:29 | その他

正月の2日から読み始めて読み終わるまで6日かかった。途中ほかの本を読んでいたりしたので実質4日だが、読むだけなのに凄い体力が必要だった。でも沢木さんはこのノンフィクションを書き上げるのに25年かかっている。執筆には実質7年。でもこの作品の主人公の西川一三さんは8年かけてこの旅をした。(『秘境西域八年の潜行』)これは沢木さんによるその記録である。本人による『秘境西域八年の潜行』(なんと原稿用紙3200枚!の大作)が、あるのに、同じ旅を改めて沢木さんがなぜ書くのか。西川さんの話を1年間かけて聞き出し、それを自分の手でもう一度ノンフィクション作品として書き上げる作業の意味は、どこにあるのか。

その答えはあとがきに書かれてはあるが、それはこの原稿用紙1000枚に及ぶ大部な1冊を自分の目で読み進めることで明確に見えてくる。でも、なかなかそこにはたどり着けないのも事実だ。6日間、この本をずっと読んでいて、でも集中が持続できなくて2冊ほかの本も読みながら、先ほどようやく最後までたどり着いた。長かったが、ついに読み終えた。もちろん、今こうして読んでよかった。新年の最初の1冊はこれだと決めていた。集中して一気に読みたいと思ったからだが、それは難しかった。それくらいにこれは手強い本なのだ。

戦争の終わり。でも、当然彼はそんなこと、知るはずもない。彼は25歳だった。昭和18年から始まる。密偵として中国の奥深くに向かう旅。1年のはずだった。だが、戦争が終結して後も彼の旅は続く。いや、そこからが本当の旅だったのかもしれない。蒙古人のラマ僧として、インドに向かう。いつのまにか、日本人でも蒙古人でもどうでもよくなる。過酷なんて言葉では、言い表せないような旅の過程が懇切丁寧に綴られていく。取材して、書き上げた沢木さんの困難は、実際に旅をした西川さんの凄まじい体験をなぞる。僕たち読者もまた、ささやかながら、その追体験を(こんな簡単な形で)させてもらう。西川さんはインドが終着点ではなく、さらにはアフガンからイランまでも視野に入れていた。

この記録は西川さんのお話を面白く伝えるための冒険活劇ではない。実際に彼のたどった日々をできるだけ正確に記録していくノンフィクションだ。実に丁寧。だからくどいし長い。端折らない。(でも、これでも、かなり端折っているのは明らかだけど。)西川さんの3200枚の記録の3分の一の分量なのだ。もちろん大切なことはその長さではない。その旅の全貌を余さず書き尽くすことでもない。

8年間の旅を1年間の対話で聞き尽くせるわけでもない。だが粘り強く、楽しみながら年老いた西川さんの話に耳を傾ける。彼の残した生原稿、いくつもの関連書籍にもあたるのは当然だろうが、書き始めるまで時間がかかる。自分の中で熟成しないからか。書けない。そして、西川さんは亡くなる。2007年。それでも書けない。さらには10年後、西川さんの奥さんも。書けないと勝手に書いたけど、どこでどこまで沢木さんが書き進めていたかなんて、わからない。後書きで書き上げた後の発表方法についての記載はあるが。

この本を読みながら、沢木さんがどういう形で西川さんを書こうとしたのか、その逡巡が見えるところが、興味深い。冒頭の1章は導入としてとても面白いし、このまま沢木さんの視点からのお話として全体が書かれてもいいのに、と勝手なことを思う。だが、旅は始まる。2章(「密偵志願」)からは西川さんの話になる。さらには3章(「ゴビの砂漠へ」)から本格的に8年間の旅が始まる。実は4章くらいからかなりきついな、と思った。

お話が面白くなるのは10章からだ。1946年春、インドのカリントンからチベットのラサに向かう。11章「死の旅」を経て、13章「仏に会う」までの記述が素晴らしい。それは西川さん自身の旅ともシンクロするのだろう。これはなんだったのだろうかと思うこと。その答えがそこにはある。

西川さんがこの人生のすべてをかけた旅の果てで何を見たのか。沢木さんが彼を書くことで何を感じたのか。8年間の後ももちろん人生は続く。この旅の記録を書き上げた後も。生きていくということ。生きた証。何も語らないけど、確かにそこには大事なもののすべてがある。沢木さんはこの本を書き終えた後、西川さんのたどった道を旅しようと思う。コロナのせいでまだ、その旅は実現していないけど、70年の時を経て、今同じ道を旅することの意味。若き日の沢木さんが『深夜特急』の旅をした日々からも気の遠くなるほど長い歳月がたっているはずだ。『深夜特急』の第3便が16年も遅れたことを思い出す。70代の後半、後期高齢者になる沢木さんが再び内蒙古からインドまで旅したとき、彼の中に何が去来するのか。今からその記録を読める日が楽しみだ。僕ももうすぐ高齢者に仲間入りをするようだが、沢木さんや西川さんのように最後まで自分の人生をきちんと旅をしていたい。さぁ、2023年のスタートだ。


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